「英雄様には奇妙な趣味があるんだな」
 硬い感触を感じながら、ぶっきらぼうに投げかけられた言葉に私は意識を揺り戻す。
 硬い床の感触を頬に感じる。体が重い。頭がぼんやりと痛い。
 這いつくばるように肘で上半身をかろうじて起こす。
 声を掛けてきたエメトセルクは、私の前に膝を下ろし眺めている。
「なんだなんだ、これではまるで私が負かしたみたいではないか」
 それ以上起き上がれないことを悟った私は、震える腕で体を仰向けに転がす。
「そこで…見下ろしてなければ…いいんじゃ…?」
 肩で息をしながら減らず口を返す。その声すら力なく響いて肩を竦めたくなる。
「私にまで床で這いつくばれと? 厭だ厭だ」
 そこまでは言ってない、そう伝えようと口を動かすも声にならない。
 もう何かを伝えるために頭を働かせることすら億劫だ。
「1人に…して…」
 絞り出した声に、上機嫌な納得の声が降りてくる。
 立ち上がりドア方面に足音が遠ざかるのがわかる。上機嫌な意味はわからないが理解はされたようだと胸を撫で下ろした次の瞬間、ドアの鍵がかけられた音がする。
 Uターンして戻ってきた足音に訝しげに視線を投げるより早く、ぐいっと腕を引かれ小脇に抱えられる。
 パチンと軽快なスナップ音が聞こえた。かろうじて視線を動かすと、窓の前に猫足のバスタブが出現していた。
 抗議の声を上げるより早く、バスタブに投げ込まれる。ご丁寧に私が溺れない程度の湯量に調整されたお湯からは、ハーブの香りがふんわりと漂った。
 コートを脱ぎ腕まくりをして椅子を引いてきたエメトセルクは、有無を言わせぬ動きで湯船に手を入れると私の服を脱がしていく。抵抗しようにも体に力は入らず水の抵抗でゆらゆら揺れるだけだった。
 すっかり裸にされた私の腕や足を、エメトセルクはじっくりと手に取りながら眺めている。
 もう抵抗する力を出すのも疲れた私はされるがまま彼の動きに合わせて湯の中で揺れていた。
「…折れたり内臓破裂したりはしてないようだな」
 私の腕を下ろし肩にちゃぷちゃぷとお湯をかけながら彼は少し安堵したような声で告げる。
 漂うハーブの香りを胸いっぱいに吸い込むと肩の力が抜けていくのがわかる。
 エメトセルクの手が私の体を湯船に浮かべるように横たえさせる。ぷかりと浮いた私の体を今一度確認し、結わいていた髪をほどき湯の中に散らばらせた。さわさわと髪に指を絡ませほぐしていく。
 ぼんやりと浮かびながら天井を眺める。お湯の中に浸かった耳に優しい水音が響く。
 彼の手が前髪をかきあげるようにお湯の中に浸していく。すっかり全身薬湯に浸されハーブの香りに包まれる。
 親指の腹で頬を撫でるように擦られる。切り傷ができていたのか、そこだけピリピリと痛んだ。
「せっかく白い肌なのだ、出来る限り傷をつけるな」
 無茶な注文をつける…そうなんとか絞り出すとエメトセルクは口の端を歪める。
「言われたくなければ精進しろ」
 ぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、彼の手はどこまでも優しく私の全身を撫でていく。先ほどの軽い目視チェックとは違う、入念に一つ一つ傷や痣を確認しては優しく撫でていくその手が少しくすぐったい。
「随分…優しいのね…」
 頭を湯から離し耳の中に水が残らないように注意を払うエメトセルクに意外なこともあるのね、と声をかける。
「弱ってるものに鞭を打つほどの非情さは持ち合わせておらんのでな」
 厭だ厭だと言いながらもその手はどこまでも優しい。構われたくなければもっと強くなれ、そう言われてごもっともと肩を竦めるしかない。
 両腕の傷を見たあと、その手は足へ。ゆっくりと両足のつま先まで確認しては傷を撫ぜる。
「…………っつ…」
「痛むか」
 太ももに盛大についた切り傷を撫でられ顔を歪める。痛みとくすぐったさでぴくりと足が動く。
 薬湯の効果だろうか、先程よりは力の入る腕で同じように自分の傷を撫でる。
「……大丈夫…」
 言い聞かせるように告げる私の横顔を見ながら、エメトセルクはその手を背中へ回す。
「背中は無事だな」
 逃げながら攻撃されるようなヘマはしてないな、と確認され流石にそれはないと頭を振る。
「…そんなヘマ、しないわ」
「結構」
 彼は満足そうに笑ってそれから今一度私の体を見る。胸元に手がやってくるのを見て流石にそれは、と押し退けようとする。
「見せろ」
 有無を言わさぬ物言いで難なく私の手を振り払い首筋から胸元に向かって指を這わせる。
打撲で痣になった箇所をひとつひとつ触れていく。
「腕と足で庇ったか」
「そりゃ…ね…」
 ほぼ全身、全ての傷を確認したエメトセルクは満足そうにふたつみっつ頷いて私から手を離した。
「少し浸かっていろ」
 肩を竦めて返事とし、私はそのまま肩をお湯の中に沈める。お湯の中で手のひらを開いて閉じる。握力は戻っていなかったが先程までの泥のような疲労感が和らいでいるのがわかった。
 席を立ったエメトセルクはグラスに水を注いで戻ってくる。
「飲んでおけ」
 差し出されたそれは水にしてはトロリとして香草が入っているのが見て取れた。こんな飲み物あったかしら、そう思う私の目の前に今一度ずいっとグラスが差し出される。
 私はあまり力の入らない腕を持ち上げグラスを受け取る。落とさないようにエメトセルクの手がグラスを一緒に支えてくれている。
 ここまでするのだ、よっぽど変なものは入っていないだろうと踏んで私はそれをゆっくりと嚥下する。喉を通り抜けるハーブの香りと柑橘系の酸味が体に沁みる。ゆっくりと嚥下する間、彼の手はずっと、グラスを支えてくれていた。
 全て飲み干すと、優しく頭を撫でられる。そのまま何事もなかったかのようにグラスを持ってエメトセルクは席を立つ。
 もう一度、肩まで湯に浸かる。膝を折り足の指先に手を伸ばし、指と指の間を力の入らない手の指でグイグイと押して感触を確かめる。異常がなさそうだと感じたら今度は自分の指を組みお湯の中でゆっくり腕を伸ばす。
 戻ってきたエメトセルクは椅子に座りバスタオルを自らの膝の上に広げると、私を軽く抱きかかえ膝の上に下ろした。バスタオルで全身を包み指先からゆっくりとお湯を拭っていく。全身くまなく拭うと一回り小さなタオルで髪の毛の水分を取り払っていく。私は瞳を閉じてされるがままになっておく。少しぶっきらぼうに、でも優しく彼の手が頭を撫でながら拭ってくれる。
 あらかた拭き取られた体に窓の向こうから吹いてくる風が心地よい。
 普段自分でやるよりも丁寧に髪の毛の水分を取ってからエメトセルクは私の体を抱えて立ち上がる。ぐん、と上がった視界は普段より高く私は思わず彼のシャツを掴んだ。
 ゆっくりとベッドの上に私を下ろしてから、椅子を持ってきてサイドテーブルにことりと陶器の容器を置く。その中からクリームを指に掬い取り私の手を取ってゆっくりと塗り込んでいく。
 指先から二の腕を通り肩へ。両手とも塗り込んだら足先から、太ももへ向かって。首から背中に塗り込み前まですっかり塗ってゆっくりと顔をマッサージするように指の腹で塗り込んでいく。
 エメトセルクは全て終えると満足そうにうなづいて指をスナップする。私の体にサマーインディゴシャツ一枚羽織らせてさらに満足そうに首を縦に振る。
「あり、がとう」
 素直に礼を述べる私の頭をぽんぽんと撫でて彼は立ち上がる。
 その姿を見ながら私はベッドの上に仰向けに倒れこむ。全身の疲労感はあるものの軋むような痛みは薄れていた。
 戻ってきたエメトセルクは椅子には座らず、ベッドの縁に腰掛け上から私を見下ろしている。頬にかかった前髪を彼の指が優しく払いのける。
「逃げないのか」
 思っていたよりも近づいていた顔を見上げる。金の瞳が愉快そうに笑っている。
「そんな元気、ないわよ…」
 吐き出すように言って瞳を閉じる。実際痛みがないだけで全身はだるいし、なんなら強制湯浴みの効果で眠気も来ている。
「違いない」
 顔を離したエメトセルクは私の頭を撫でながら胸元をトントンと優しく叩く。
 そのリズムに合わせて私の意識は闇へと落ちていった。

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2019.08.14.初出

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