名前を呼ばれた気がした。
 懐かしい名前、今はもう呼ぶ人もいない呼び声。
「…………ク…………ト………ク…!」
 ゆさゆさと揺さぶられる感覚に、目を開ける。
 目の前に眉根を少し寄せて心配そうな顔をした少女の顔があった。
「あ、よかった。生きてた。」
 ほっとしたような表情で少女は息を漏らした。
「…お前…こんなところまで来たのか?」
 思っていたより深く思考の海に沈んでいたのか、まだ揺らぐ意識を隅に追いやりながらエメトセルクは少女を見やった。
 こんなところ、といったのも無理はない。ラケティカの巨大樹木の上、座りのよさそうなところに腰かけ太く伸びた枝に背中を預けていたからだ。ここまで登ってくるのはあのロンカの守り人でも易々とはいくまい、そう思っていたからだ。
「心配してきた人に対して失礼じゃない?」
 すこし膨れて見せる少女はそのままぺたりと樹木の上に腰を下ろした。
「…心配? お前が?」
「みんなが」
 上体を起こして少女を見る。少女は少し膝を曲げてその膝の下で指をもてあそびながらぼんやりと遠くを見ていた。さやさやと心地良い風が少女の髪を揺らしている。
「なんだ、心にもないことを」
「心外だなぁ、みんな心配してるよ」
「私の動向をか?」
 軽く肩を竦めて見せる。エメトセルクは「アシエン」である。その彼が敵である光の戦士…いや闇の戦士と行動を共にする。警戒されても致し方ない、と言える。
「いや別に、それは全然」
 思っていた以上にきっぱりと否定されて、エメトセルクは呆れた顔をした。
「…敵なのに?」
「まだわからないでしょ?」
 少女はそのまま大きく伸びをして足を投げ出した。樹上に居ようとも幹は2人よりも高く高く伸び木漏れ日を落とす。
「言ったのはあなたよ。お互いを知るために休戦しようって」
 たしかに言った。彼ら暁の面々は「アシエン」を知らなすぎる。そして同じように我々も「英雄」のことをきちんと知らないまま敵対している。
「共に行動する以上は心配だってするわ」
 まるでそうすることが当然のように言い放つ「英雄」に苦笑いがにじみ出る。人の言葉で言えばお人好し、まさにこれが当てはまるのだろうな。
 あえて冷静に分析するなら、そう思っているのは英雄だけである。そう確信できる。今行動を共にしていない双子はおそらく疑心暗鬼。サンクレッドは警戒心しかない。ウリエンジェはまだ見定めてる最中。ミンフィリアはおそらく二人の間で同じような思考だろう。マ トーヤと呼ばれたミコッテの女性も明らかに警戒していた。
 どこまでも自然体で横に座る「英雄」を興味深げに観察する。見た目は普通の少女。魂は光に侵され始めてはいるもののまだその形を残している。
「…お人好しだな」
「よく言われる」
 昔を思い出すその言い方に胸がチクリと痛む。あぁ、そう答えたやつが他にもいたな、脳の隅でそう呟く。
「で? 何か用事だったのではないのか?」
 思考と話を切るようにエメトセルクは少女に告げる。
「…それとも? 私を誘惑しにきたのか?」
 キョトンとした顔でこっちを見る少女の顔があまりにも滑稽で、私は大きく笑った。
 意味を理解したのかみるみる顔を真っ赤にしていく少女の様子がなおさら笑いを増長する。
「なななななにいってるの!? そんなことあるはずないでしょ!?」
 私に向き直り必死に顔の前で両手をぶんぶんと振るその姿もどこか滑稽だ。
「なんだ、ないのか?」
 声のトーンを少し落としてそう呟けば、頭から煙が上がるんじゃないかというほど真っ赤になった少女が硬直する。
 それを見てまた愉快になり唇の端がにやりと持ち上がるのがわかる。
 そんなエメトセルクを見て少し冷静になったのか、少女は大きく溜息を吐いた。
「私なんか範囲外でしょうに…」
「おや? そんな風に思っていたのか?」
 おどけてそう言えば、エメトセルクのその声にどこか真剣な声で応戦が飛んでくる。
「…あなた、もっと大事な人いるでしょ」
 その声に顔を上げ少女を見やる。
 エメトセルクに向き直った少女は先ほどまでの熱を胸の内に落とし込んで、真剣な眼差しで彼を見つめていた。
「な、にを」
「…わかるわよ。あなたは私を見ていないもの」
 その声色にぞくりと背筋が総毛だつ。小さく膝を抱えて少女はエメトセルクを見つめている。遠くで鳥が羽ばたく音だけがやけに響いて聞こえる。
「そうか、わかるのか」
「…えぇ」
 少女の視線とエメトセルクの視線が混じり合う。どこか長閑な風景に不釣り合いなその状況に声が漏れそうになる。
「…思い出せば…」
 小さく呟くエメトセルクの言葉を不意の突風と鳥の羽ばたきがかき消していく。バタバタと強い音に、風に、吐きだした思いは持っていかれる。
「なに? もう一度…」
 風に煽られた髪を抑えて少女が尋ねてくる。肝心なところが伝えられないのも、あの頃のままかと苦笑する。
「なんでもない」
 軽くかぶりを振りながらエメトセルクは笑った。少女は不思議そうな顔をしたが、エメトセルクがそれ以上言う気がないことを悟ると視線を外し顔を上げ、その体に光を浴びていた。
 その横顔に、かつての友たちを思い出す。もう今は遠すぎて、それでも心の中で色褪せないあの懐かしい日々を思い出しちくりと胸が痛む。
 しばらくそのままお互いに無言で時が流れるまま任せていた。少女もなにかを察していたのか、何も言わずただ、エメトセルクのそばにいた。
「さて、あんまりここにいてもお仲間にお前を返せと怒られそうだな」
 思考を振り払うようにそう言ってエメトセルクが立ち上がり膝を払うと、少女も追随して同じ行動をした。
「まぁ、黙って出てきてるからそれ以前の問題だけどね」
 さらっと爆弾発言を投げてくる少女に目をむく。不思議そうな、理解してない顔に呆れて思わず片手で顔を覆う。
「え、え? なんでその反応?」
 変な所は勘がいいのに、どうして肝心なところでそれを発揮できないのか。エメトセルクははぁーっとあからさまなまでの大きなため息を吐く。
「いいか? 戻ったらお前が全部説明するんだぞ? お・ま・え・が!!」
 あえてきつめの口調で念を押す。
「え、えぇぇ…?」
 まだ混乱してる少女に手を差し出し。
「へ?」
 それに無意識にちょこんと手を乗せてくる。あまりにも無防備すぎやしないか? もう一度エメトセルクは頭を抱える。
「ちゃんと掴まっていろ」
 少女がまた素っ頓狂な声を上げる前に、エメトセルクは彼女の腕をつかむと抱き寄せ指を軽くスナップさせた。
 次元の闇が二人を包み込む。その揺れる感覚に身を任せながら、エメトセルクは瞳を閉じた。
 2人がいた場所に小さく風が渦巻いて、そして後には何も残らなかった

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2019.07.30.初出

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