「珍しいな。お前が起きている」
 ラケティカ大森林の木漏れ日の中、そののどかな光景に不釣り合いな黒い大剣を携えた少女を、エメトセルクは大木にもたれかかったまま眺めていた。
「……いつも寝てるわけじゃないよ」
 身の丈ほどもある大剣を片手で振るい剣についた液体を払い落して、少女はそれを背中に背負った。
「そっちこそ珍しい。陽の光のある間に出歩いてるなんて」
 ここ数回のエメトセルクの出現状況を思い出しながら口に出す。夕方ないし夜間にしか現れない気まぐれな出現に腕を組んで首をかしげる。
「そういうわけでは、ないのだがな」
 特に狙ったわけではない、とエメトセルクは肩を竦める。
「てっきりそういう時間しか動きたくないのかと思ってた」
 少女がそう声をかけながら歩きだす。少し遅れてエメトセルクも黙ってそれに続いた。遠くでは鳥が鳴きそよ風が頬を撫でていく。
 少女は器用に敵の配置を避けながら騒ぎになってる場所に向かってまっすぐ歩いていく。
 敵の群れが集落を襲おうとしている。その群れの先端へ、大剣を構え飛び掛かるように突っ込んでいく。エメトセルクは邪魔にならないようにそれを少し離れた場所で眺めていることにした。
 ラプトルの群れが少女の突進に気付きギャイギャイと声を上げ少女に群がっていく。少女はそれを華麗に避け、時折正面から受け止めながら踊るように技を繰り出していく。
 エメトセルクはその姿を腕を組み大樹にもたれかかって眺める。飛び掛かり、蹴り上げ、大剣を振う少女の姿を目で追う。エメトセルクの金の瞳には、少女が嬉しそうに笑っているように見えた。
 一匹また一匹と屠り続ける少女の体が魔物の体液で血濡れていく。その死体の山の中にあっても少女の輝きは褪せてなかった。
 不意にエメトセルクの眼前から少女の姿が掻き消える。ひゅっとすぐ横を風切る音が通り抜けたかと思うと、少女の肢体が伸びやかにエメトセルクの背後に迫っていた魔物に飛び掛かっていた。大剣を深々とその喉元に突き刺して地面に縫い付ける。二度三度魔物が痙攣してそのまま静かになった。
「…平気?」
 背中を向けたまま静かに大剣を地面から引き抜きながら少女は短くエメトセルクに問いかける。
「あぁ」
 びっと空気を切り裂くほど鋭い音をさせて少女が大剣を振るい血を落とす。その大剣を背中に背負いなおすときにちらりと見えた少女の目は明らかに普段の様子とは違っていた。
 少女はそのまま後ろは振り返らずに次の目的地へ向かって歩き始める。
 いくつかの争いに顔を出しては敵を屠り、振り返らずに次の目的地へ移動する。汚れる服も傷も気にせずただ真っ直ぐに歩いていく。エメトセルクはそんな少女の後ろを何をするでもなくついていく。
 その体についた生傷が隠しきれなくなったころ、ようやく少女は立ち止まってエメトセルクに向き直った。
「……楽しい?」
 小首をかしげながら尋ねてくる少女の、普段と違う様子に違和感を覚える。
「…それなりに楽しんでいるぞ」
「…なら…いい」
 少女はふいっと視線を空に移す。木漏れ日を浴びてその横顔が浮かび上がる。血まみれでありながらもなお少女は凛とした空気をまとってそこにいた。
 ふらふらと歩き出そうとする少女を流石に一度腕を引いて引き留める。無言で引っ張られたそれにバランスを崩して少女が倒れかける。すんでのところでエメトセルクの腕がそれを支える。
「…ふらふらじゃないか」
 エメトセルクの体に出来る限りもたれないように少女が体に力を入れている。
「大、丈夫」
 いっぱいに腕を引き延ばし少女が強がる。エメトセルクは少女の前に膝を落としてその体を支える。
「…汚れ、る」
 単語単語でぽつぽつと話す様子に違和感が拡張される。
 エメトセルクの手が強引に少女の顔を上向かせる。覗き込めば、普段のどちらかといえば無表情を貼り付けていた顔は血に塗れ、その瞳だけがぎらぎらと血走っていた。
「今日は終いだな」
 エメトセルクの言葉に少女が首を横に振る。精一杯腕を伸ばして少女がエメトセルクから離れようとする。それを良しとしないエメトセルクは半ば強引に自身の腕の中に少女を抱きとめる。
「いや…っ」
「終いだ、し・ま・い! 冷静になれ英雄様!」
 普段荒げない声を張り上げエメトセルクは噛みつくように少女に吐きだした。叫ばれた少女はこぼれ落ちそうなほど大きく目を見開いてエメトセルクを見上げた後カタカタと震え出した。
「お、おい」
 明らかに様子がおかしい。自分の胸を両腕で抑え小さくうずくまる少女を周囲から隠すように抱きしめる。
「ごめ…なさ…へいき…」
 絞り出した声は先程までの強さをなくしている。浅く荒い呼吸を繰り返す少女の肩に手を添えれば大きく少女が震える。震え方に覚えがある。月のない夜に震えていた、あの時とよく似ている。
 エメトセルクは出来る限りそっと少女を抱き上げて次元の闇を開いた。

 ほの暗い部屋に本棚が壁のように並ぶ。間接照明がゆらりと揺れる。床の上には数多の本と様々な鉱石や薬草、地図などが所狭しと散らばっている。
 勝手知ったる様子で部屋の奥、少し大きめの1人掛けソファに小さく縮こまる少女をそっと下ろす。胸を押さえたまま震える少女の肩にそっと薄手の毛布を掛けてやる。
「ゆっくり、息をしろ」
 少女と目線のあう高さまで腰を下ろしてゆっくりと声をかける。声が届いたのかひゅっと音を立てて少女の喉が鳴る。少女が落ち着くまでエメトセルクはそのまま待ち続けた。
 少しずつ落ち着きを取り戻した少女の腕が、胸元から離れ毛布の端を掴む。そのまま自身を抱え込むように毛布の中に包まると小さく小さく体を丸めてその中に顔を沈めた。
 小さく少女が呟く声がその毛布の中から聞こえる。
「…ごめん、なさい」
 吐きだした声と共に少女の身体が震えを取り戻したのがわかる。
 ゆっくり立ち上がったエメトセルクは少女の肩に手をかける。びくりと震えるその体を認識しながらそっと抱き上げる。自身がソファに座りその膝の上に少女を横抱きに座らせる。きゅっと縮こまる少女の顔を無理に上げさせずにもう一度落ち着くのを待った。
「何をあせっている」
 呟くような低い声で問いかけられ少女がびくりとゆれる。
「…つよ、く、ならないと」
 顔を上げぬまま答える少女の声が震えている。きゅっと毛布を掴む手が強くなったのを感じる。
「早く、強く、ならないと…」
 少女の震える声を聴きながら、エメトセルクは眉を顰める。大罪喰いの討伐という大義のために確かに英雄様には強くなってもらわないと困る。それは事実である。だが、大罪喰いの討伐に必要なのは肉体の強さだけではない。光を受け止め切れるだけの心の強さを持ってもらわないと困るのである。
「ひとりで…成し遂げようとするな、と私は言ったはずだが?」
 その言葉にぴくりと少女が反応する。
「…ここに、いたいの」
 帰ってきた返答はエメトセルクの思い描いていたものと違っていた。
「私が、ちゃんと、強くなれば…ここに、いても、怒られない」
 月のないあの夜を思い出す。伏せていた記憶を思い出し、震え、とつとつと語った少女の姿を。
 おそらくあの夜から少女の中で怯えが強くなっていったのだろう。もしかしたら何度もあの記憶を繰り返し再生していたのかもしれない。
「誰か、お前を排斥しようとしたのか?」
 問いかけに少女は頭を横に振る。少なくとも、暁の面々は少女を信頼しているし、クリスタリウムの住人達は少女のことを喜んで迎え入れているように感じる。懸念事項があるとすればヴァウスリー率いるユールモアの面々だが…そちらはそもそも少女のホームタウンたり得ない。気にするだけ無駄だろう。
「…いつ、言われるか、わからない」
 少女の手が強く毛布を握りしめる。
 事ここに至って、エメトセルクは少女に対する認識を一つ改める。少女は拒絶されることを強く恐れている。誰だって拒絶されるのは辛い。だが、少女のそれは常人の感覚をはるかに上回る状態で存在しているようだった。少女の気質ゆえに届けられる声に耳を傾け目の前の一つ一つに手を伸ばしているのだと思っていた。だが、もしかして、少女はただ拒絶されたくないというその思いだけで手を伸ばし続けているのではないか、と。
「いらないって、言われたくない…っ!」
 エメトセルクはそっと少女の背中を撫でる。びくりと跳ねた体が震えている。
 思い返せば点が線でつながる。光の戦士、闇の戦士であれば…英雄であれば、拒絶されることはない。ならば皆が望むそれになればいい。なれないのなら、演じきればいい。
 少女は仮面のように表情を貼り付ける。拒絶されないために。
 少女はその過去と日常を捨てていく。拒絶されないために。
 少女はその本心を押し殺す。拒絶されないために。
 拒絶されないというその1点のために、英雄を演じる。そう考えれば辻褄が合ってしまうのだ。
 少女が大きく頭を振る。その声に嗚咽が混じっている。おそらく誰にも…暁の面々にも吐露してなかった思いを吐き出し、少女の中で枷が外れる。
「もう、いらないって、言われたくないよ…っ」
 エメトセルクの手がそっと少女の手に触れる。固く握りしめていたせいでひんやりと熱を失ったその手を包み込む。
 エメトセルクに、それにこたえるだけの言葉はない。少女たちと比較してもなお長い時間を有しながらも、エメトセルク自身も同じように拒絶を味わった側の人間なのだから。
 遠い遠い遥かな過去に置いてきた記憶の断片を遡れば、同じように苦い拒絶を経験した自身の姿がぼんやりと浮かぶ。ハイデリンという神に、厄災という事象に、大切に思っていた人たちに、それ以外にもこまごまとたくさんの拒絶を繰り返したエメトセルクに、拒絶する側から声をかけることはできない。
 少女の小さな体をそっと抱き留める。すえた獣の血の乾いた香りが鼻につくのもかまわずその埋もれた髪に顔を寄せる。
「そうだな、拒絶されるのは辛いものだよな」
 小さく呟いたエメトセルクの言葉に、少女がおずおずと顔を上げる。
「…意外に思ったか?」
 肩を竦めて口の端を歪める。
「お前たち以上に長い時を生きているんだ…拒絶をされたこともたくさんあったさ」
 少女が顔を上げてエメトセルクの顔を下から覗き込む。悲し気に揺れるその瞳を金の瞳が見つめ返す。
「定命であるお前たちの辛さは…私たちより強いのかもしれないな」
 時がいずれ癒してくれる、なんて言葉をどこかで聞いた気もするが短い時を生きる少女たちにはそれは重すぎるのではなかろうか。
 少女の体から少しずつ震えが治まっていくのを感じる。エメトセルクの言葉にどこか安心したのかその指の力が少し弱まっていた。真っ白になるまで握りこまれていた指に再度血が通い始めたのか指先が薔薇色に染まっていく。
 少女の瞳を見つめながらエメトセルクは心の中でひとつため息をつく。誰だって拒絶をし拒絶されて生きている。その積み重ねの中で大事なものを見つけていく。遠く、もう手が届かなくなった同胞を脳裏で思い出す。同じ色をした少女を見つめながら、お前も拒絶したんだぞと言いたくなる言葉を飲み込む。
「ここにいろ」
 ぽつりと吐き出すように告げられた言葉に、少女の目が見開かれる。
「…ここ、に…?」
「ここに、だ」
 未来の約束はできない。アシエンと光の戦士、相反する彼らはいずれ死闘を繰り広げることになる。その時にお互いにどういった選択を取るのかはわからない。
 だが少なくとも、今この瞬間は。
「私は、お前を拒まない」
 拒絶された記憶を持つ者同士の傷の舐めあいと取られるかもしれない。あるいはアシエンの甘言に光の戦士殿が翻弄されていると。この際どちらに取られてもかまわない。いつだって大事なのは当人たちの意志なのだから。この怯えを共感できるのはお互いだけなのだから。
 少女の瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちる。照明の柔らかい灯りを受けてキラキラと輝くそれはぽたりと毛布にしみこまれていく。
「泣くな」
 その涙を少女よりもずいぶんと大きな指で拭ってやる。少し震えた少女は、それでも拒絶することなくその指の動きを受け入れた。
「……ここに、いて、いいの?」
 小さく吐き出すように少女の口から漏れた言葉はまだ怯えを含んでいる。エメトセルクはあやすように少女の頬を撫でながら静かに頷く。
「いていい、じゃない。ここにいろ、と言ったんだ」
 ともすれば支配ととられかねない強い言葉。それでも少女を安心させるには弱い言葉ではダメなんだとエメトセルクはわざと強めに言う。
 少女の瞳から再度涙がこぼれ落ちる。エメトセルクは肩を竦めて今一度それを指の腹で拭っていく。
「……いいんだ、わたし、ここに」
 綯い交ぜになった感情でそれ以上の言葉が出てこない少女に頷く事で肯定の意志を示す。
少女の体から震えはなくなっていた。
 小さく2度頷いて、少女の小さな指はエメトセルクの腕をきゅっと掴んだ。
 ただ涙がぱたりと落ちる音が静かな部屋にこだましていた。

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2019.08.28.初出

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