ペンダント居住区 闇の戦士居室にて
 ララフェルの体には大きすぎるベッドの上で、少女は小さく丸くなって眠っていた。
 外は宵闇。月の出ない夜は星明かりも弱々しく瞬く。いつもは空を見るため開け放たれた窓はぴたりと閉じられていた。
 ベッドサイドのテーブルの上には飲みかけのお酒が入ったグラスがひとつ。まだ溶けきらない氷がからんと乾いた音を立てる。
 普段はつけたままの間接照明すら消えた部屋に少女の寝息が響く。眉根を寄せ苦しげな表情でうなされる少女は小さな手でシーツを握りしめていた。
 静まり返った部屋の空気が不意に揺れる。闇の中、さらに深い闇を纏ってエメトセルクは現れた。明かりの消えた部屋を訝しげに見回してから、勝手知ったる様子でベッドへ近づく。
 ちらりとベッドサイドのグラスを一瞥してから、少女の眠る傍に腰を下ろした。
 普段よりも小さく丸くなる様子に首をひねる。こんな寝方を普段するタイプではなかったはずだが、そう思考する脳に苦しげな声が届く。静かな部屋に響くそれは少女が悪夢の縁にいることを示していた。
 顔にかかる前髪をそっと避けてその顔を上から覗き込む。眉根を寄せ苦悩の表情の少女を見下ろし、不機嫌そうにエメトセルクも顔を歪める。普段冒険して怪我をした時の方がよっぽどあっけらかんとした表情をしてるではないか、そう心の中で憎々しげに呟く。
 起こすべきか…そう逡巡するエメトセルクの耳に小さな少女の寝言が届く。
「……め……なさ……ごめ…な、さ……」
 小さな声で何度も何度も謝りながらさらに体を縮こまらせる少女の様子に、これはマズイのではとエメトセルクの脳が警鐘を上げる。
 些か乱暴にその肩を揺すって少女の意識を覚醒させようと試みる。
「……おい」
 何度か小さく呼びかけると少女の瞳がゆっくりと開く。その瞼の裏に溜め込んでいた涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
 エメトセルクはひとつ小さく息を吐いて少女の頭を撫でようと手を伸ばす。
 途端に弾かれたように少女が自分の頭を抱え込む。小さく小さく体を丸めてさらに小さな声で謝罪を繰り返す。夢の淵からまだ戻ってこれていない少女の様子に流石に困惑する。
 一度止めた手を握り、決意するように少女の体を半ば強引に抱き起す。強張った体を自身の体で横抱きに抱きとめる。普段よりもさらに小さく体を抱え込んだ少女の背中を優しくさする。
「……ごめんなさい…っごめんなさい……」
 断続的な謝罪の言葉を泣きながら繰り返す少女に、かける言葉が見つからない。ただ静かに少女が落ち着くまでエメトセルクはその背を撫で続けた。
 どれくらい経ったのか。グラスの中の氷が溶けきる頃に少女はようやく自身の頭を抱え込んでいた腕を下ろした。その腕で自身の肩を抱きしめながら少女の瞳がゆっくりと開かれる。数度のまたたきでこぼれ落ちた涙がその腕に当たって弾ける。
 エメトセルクは出来る限りゆっくりとした動作で少女の背中から手を離しその指を少女の頬に添える。びくりと少女が一度震えたが先ほどのような強い拒絶はなかった。
 そっとその頬に指を添え、流れ落ちた涙を拭ってやる。触れるたびに怯えを含んだ震えで体が揺れているのがわかった。
 身動いで少女がゆっくりと曲げていた膝を伸ばしていく。その肩を抱いていた手から力が抜け、行儀よく太ももの上に置かれた。
「…ごめんなさい」
 瞳は伏せたまま少女ははっきりとした口調でエメトセルクに謝罪した。
「…起きたか」
 肩を竦めながらエメトセルクは少女の様子を確認する。普段よりも小さく見える少女の姿に胸がちくりと痛む。
 エメトセルクへの返答を頷くことで返して、少女はその腕の中から出ようと身動ぐ。エメトセルクはそれを強く抱き返すことで阻止する。
「……あの…」
 おずおずと声をかける少女がまた小さくなっていくのがわかる。
「夢でも見ていたのか」
 離す意思はないぞ、と少女を強く抱きとめたままエメトセルクは問いかけを飛ばした。
 少女の足がもじもじと動く。膝の上の指先を絡め合わせて居心地悪そうに縮こまりながら少女は小さくうなづいた。
 頬を撫でていた手をゆっくりと後頭部に回す。髪を結んでいたゴムを器用に外してその髪に指を潜り込ませ優しく撫でる。
「…話せ」
 声にびくりと少女が震える。その様子にただの夢ではなかったという確信を持ったエメトセルクは大きくため息を吐く。縮こまる少女の体を今一度強く抱き寄せる。
「…大丈夫、だから…」
 震える声が気丈に告げる。どこをどう切り取っても大丈夫じゃない様子に頭が痛くなる。
「話せ」
 強く言い切って、エメトセルクは少女の顔を強引に上向かせた。潤んだ瞳が怯えを隠せないままエメトセルクを見つめてくる。
「…夢ではなかったんだろう?」
 ゆっくりと確認するように出来る限り優しく問いかける。伏せていく瞳とともに少女が小さく頷く。
 少女が見ていたのは恐らく過去の記憶。
 少女が冒険者になる前か…光の戦士と認識したあたりか、その辺りの。
「…ゆっくりでいい、話してみろ」
 頭を撫でる指の動きを再開しながら、エメトセルクは優しく告げた。
 実際、少女は自身のことを全く話さない。話さないのか話せないのかはわからないが、ともに旅をする仲間にすら告げたことはないのだろう。人々の想いを背負って進むために切り離したのかもしれないその過去を、エメトセルクは共有しようと試みる。
 逡巡の後、少女は震える唇を開いた。
「……過去が、見えるから…私はひとつのところにいないようにしてた」
 ぽつぽつと途切れ途切れになりながらも、少女は語り始めた。
「…でも、そうやって、逃げれるようになるまでは、ひとつのところにいた」
 どう伝えよう、そう思案する少女にお前の言葉で大丈夫だと優しく諭しながら話の続きを促す。元々自身のことを話してこなかったという事実に加え、まだ目覚めたばかりできちんと脳が働いてるとは思えない。少女の言葉で話せばいい、分からなければ問いかければいいのだからとエメトセルクは少女を撫でながら心の中で呟いた。
「……見えると、怒られた。気持ち悪いって」
 声色が沈む。その視線がぼんやりと膝のあたりを眺めている。
「…怒られて、暗い場所に、閉じ込められた」
 それは、冒険者になるよりうんと前、幼少期の記憶。前触れもなく不意に訪れる過去視に怯えながら暮らしていた日々の記憶。
「…たぶん、いっぱい、殴られた。私には止められなかった」
 過去視の発動も、それによって起こる弊害も、小さな少女にはなす術もない。
「…謝っても、許してもらえなかった。私が見てたのは、そんな夢」
 暗い部屋の中で小さくなる少女の背中を今一度撫でる。
 小さく少女が頭を振る。
「…それだけ、だよ」
 短く言葉を切ったその様子に普段の調子が戻り始めているのがわかった。
 エメトセルクは小さく腕を振って部屋の間接照明に明かりをつける。ぼんやりと浮かび上がる2人のシルエットがゆらりと壁に反射した。
「…お前、普段から酒を嗜んでいたか?」
「え…あぁ、お酒のせいか…」
 その顔に手を当てて頭を振りながら、少女は小さくため息をついた。
「ううん。普段は飲まないよ」
 第1世界のドワーフは酒豪で知られているが、原初世界のララフェルにはそういった特性はない。
「慣れないことはするもんじゃないね…」
 苦笑しながら告げる少女の様子に顔をしかめる。こちらを見ていない少女には分からないように口元を苦々しげに歪める。
 エメトセルクの中に厭な方向に確信がもたらされていく。少女をこのまま前に進ませれば、遅かれ早かれ自滅をするぞ、と警鐘が鳴り響く。
 度重なる自傷行為にも似た過度な冒険や探索、英雄であるために捨てていった日常、押し殺すことが常になった心、前に進むために切り離した記憶…そのどれもがマイナス方向に絡み合っている。危ういバランスの上で成り立つ英雄という存在を、果たして諸手を挙げて歓迎している場合なのだろうか?
「…次からは私を呼べ」
 やいのやいのと言っても少女は聞き入れないだろうと見越して肩を竦めながら別の方向からアプローチする。
「悪酔いしにくい良い酒を持ってきてやる」
 言ったところで聞き入れるかは別問題だが、声をかけたという事実が、時に少女を救うことに繋がるかもしれない。未来への布石へ種を蒔く。
「……そう、だね」
 少女の肩の力がほんの少しだけ抜けたのを感じる。
「…忘れてくれて、構わないよ」
 自嘲気味に笑いながら少女はエメトセルクを見上げてきた。弱音を吐いたことは忘れて、少女は言葉少なにそう告げる。いつもの調子に戻った少女の様子に肩を竦めて答えたフリをする。
 少女の頭がこてんとエメトセルクの胸に寄りかかってくる。
「…ねぇ、エメトセルク」
 所在無さげに弄んでいた自身の指先を見つめながら、少女は呟くように小さく話す。
「どうして、優しくしてくれるの?」
 問われて、今度はエメトセルクが答えに困る番だった。
「…どうして…?」
 問われた言葉を呟いて反芻する。少女がちらりとエメトセルクを見上げている。
「…考えたことなかったな」
 その頭を撫でながらぼんやりとした答えを返す。闇の戦士様御一行に近づいたのは確かに計算した上での行為だが、少女を優しくあやす自身の行動は別に計算した上ではない。
 持て余している少女の手を取り、優しく指の腹で撫でる。
「…アシエンでも計算しないで動くことがあるんだ?」
「アシエンである前に、人だからな」
「…そうだね」
 くすりと少女が笑う。先程までの空気を変えようとしているのを感じる。
 少女の手を太ももの上にそっと置いて、わざと少女の視界を遮るように手を伸ばす。びくりと少女は首をすくめ、あからさまに怯えを含んだ様子で震える。
 そっと指先で少女の前髪に触れる。その毛先を弄んでからそっとその頭を撫でる。手の動きに合わせて少しずつ少女の震えが解かれていく。
 小さく息を吐いて怯えていた自分を追い出そうとする少女の様子を、エメトセルクはじっと見つめている。
 言葉を重ねたところで、少女に染み付いた恐怖を消すことはできない。そしておそらく、少女はそれを抱えたまま手放すこともできずに、前へと歩みを進めるだろう。光の戦士として目的を果たすのが先か、恐怖に耐えかねて壊れるのが先か…エメトセルクにもそれはわからない。
 少女の体をそっとベットに横たえ、自身もその横に体を倒す。頬杖をついて少女を見下ろしながら、その小さな胸元をトントンと静かなリズムで叩いてやる。
 少女の手がおそるおそるエメトセルクの頬へと伸ばされる。びくりと触れて拒絶されないことを確認してから、その手がおずおずとエメトセルクを撫でた。
「…酷くしても、いいよ」
 優しくしないでもいいよ、と少女は静かに告げる。罰を受けることを待つその物言いは、赦しを請うかのようにも思えた。
「…いずれ、な」
 赦しは与えない。それは少女との契約違反になるから。赦さないでとあの時告げた少女のために、エメトセルクは赦しを与えない。
 目尻の涙を指で掬う。流れた涙の跡を指で辿る。
「そういう罰を好むならいずれする時も訪れる」
 体格と力の差で組み敷いて一方的な押し付けをすることも出来なくはない。もしかしたらそこまで強く支配しないと、少女にとっては罰を与えることにならないのかもしれない。だが、少なくともそれは今ではない。
「激しくされる方がお好みなら幾らでも、お前が壊れてしまうまで蹂躙することもできるが…生憎そこまで加虐的な趣味は持ち合わせてないのでな」
 同じ激しくするなら、とことんまで甘い声を出させる方が性に合っている。同じ「なく」でも、「泣く」よりは「啼く」方がいい。
「…まだ深夜だ。もう少し眠っておけ」
 エメトセルクはそっと少女の瞳をその手で覆う。小さく震えはしたものの先程までの強い怯えは無くなっていた。
 少女が目を閉じたのを確認して、エメトセルクは手を離し間接照明の明かりを消す。暗い部屋にぼんやりと二人の影が沈む。
 頬杖を解いて両手でそっと少女を抱きしめエメトセルクも瞳を閉じた。

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2019.08.28.初出

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