「…あなた、そのクセまだ治ってなかったの?」

 スリザーバウで久方ぶりにヤ・シュトラと再開した闇の戦士とそのご一行は今後の方針を彼女の自室で話し合っていた。
 互いの持つ情報を交換していたのだが、当の本人であるミコッテ族の若き闇の戦士……原初世界では光の戦士と呼ばれる英雄……はまだこちらにきて日も浅くかつ基本的に頭脳派ではないため、うんうんと神妙な顔をして相槌とも取れない唸り声を上げながらぼんやりしていた。
 そんな彼に、悪戯っ子を諭すように優しくヤ・シュトラが声をかけたのである。
 え? と顔を上げた彼は、ついで無意識のうちにヤ・シュトラのスカートの裾……彼の名誉のために言っておくと本当に端の端、決してめくれることもない位置と高さである……を摘んでいた指を見た。
 たっぷり5秒凝視してから慌てて手を離す。
「うわぁ、ごめん!」
 パタパタと手を動かしながら顔を赤くしてそう謝る彼にその場にいたみんなが笑みを浮かべた。
「いいのよ、あなたのそのクセ、無意識ですものね」
 しゅんとしょげてしゃがみ込んでしまったその頭を、ヤ・シュトラの女性らしい細い指が優しく撫でた。
「最近はなんでもかんでもじゃなくなったから進歩はしてるんじゃないか?」
 にやにやと笑いながらそう告げるサンクレッドに、そうなんですか? とミンフィリアが尋ねる。
「服屋で端から端まで一通り撫でようとして止めたこともあったな」
「やめてくれよぉ…」
 ぱたぱたと尻尾を揺らしながら不貞腐れる様は、年相応の男の子に見えた。
「あなたたちも出会い頭に触られたんじゃなくて?」
「そう…ですね」
 ウリエンジェはにこりと優しく微笑みながら再開した当時を思い出していた。
 原初世界とは全く異なる装いで現れたウリエンジェは、自身の装備について、いかがですか? と尋ねたのだ。その時彼は「普段と違うけど似合っている」とにこやかな笑みと共に微笑みながら…やはり無意識にウリエンジェのローブの裾を引っ張るように指で摘んで手触りを確かめていたのだ。
「一種の愛情表現と捉えておりますので…こちらとしては受け入れてもらえてるのだ、と嬉しく思いますよ」
「やめよぉ…このはなしぃ…」
 耳までぺとりと寝てしまって、このままだと泣き出してしまいそうだ。
「英雄殿が泣いちゃう前にやめときますかー」
 話もおおよそ一区切りついたタイミングだったし、とサンクレッドが大きく伸びをする。
「泣かないし!」
「どーだか」
 そのまま外の空気を吸おうと歩き出すサンクレッドにきゃんきゃんと、彼は尻尾を膨らませながら食ってかかっていた。

+++

 手触りが良いものが好きだ。

 この世界は手触りの悪いもので溢れすぎているし、英雄なんて呼ばれてしまったせいで〝手触りの悪いもの〟に触れる機会が増えすぎている。
 だからなのかどうにも自分を信頼してくれている人すら、つい触って確かめてしまうのだ。
 物理的な手触りと、心の手触り。そのどちらもいつも足りない気がして無意識のうちに満たされたくて探してしまうのだ。

 手触りが良いものを探してる。ずっと触れていたくなるほど、手触りが良いものを。

 スリザーバウにお世話になるのだからと、みんなで細々としたお願いを聞いてまわり、手伝いをし、ちょうど今それが終わったタイミング。
 時刻にすればそろそろ空が茜色に染まるはず…そう思って空を見上げても無尽光に覆われた空からは時の移ろいを感じることができなかった。
 集落の外、切り株の上に腰掛けると彼は大きく背伸びをした。ミコッテ特有の薄く筋肉をつけながらもしなやかな腕がぐっと伸ばされ、大きく息を吐き出すと共にだらりと弛緩する。

 暁の面々の手触りは、彼の中では〝良い〟ものだった。
 自分より小さいミンフィリア、アリゼー、アルフィノ……アルフィノにこんなこと告げたら顔を真っ赤にしてこれから大きくなると怒られそうだが……はすべすべしてぷにぷにしてとても良いものだし、ウリエンジェとヤ・シュトラはさらさらと滑るような手触りだった。サンクレッドは、彼の服は少しごわごわしてて男らしい感じだけど、意外にその髪がさらさらしていてやはりこれが彼に〝良い〟印象を与えた。
 そこまで考えて、彼はふと今回の旅の気まぐれな同行者のことを考えた。
 光に覆われたこの世界に落としたインク染みのような漆黒の外套を纏った少し猫背な男…アシエン・エメトセルクと名乗ったあの男のことを。

 色素の薄い瞳が無尽光に覆われた空を見上げる。ぱたりぱたりとゆっくりと尻尾を揺らしながら葉の擦れる音だけを聞きながら、彼は思考の海を泳ぐ。

 アシエンは敵だ。そう教えられてきたし、戦乱の影にはいつもその影がちらついていたのは事実だ。そこに属する上に、現在も悩みの種であるガレマール帝国の建国の祖でもあると名乗られたエメトセルクのことを警戒するのは、彼らと相対してきた暁としては当然であろうと思われた。
 だがしかし、英雄と呼ばれた彼自身はエメトセルクという個人に対しては警戒するべきなのか迷いを持っていた。
 協力関係を半ば一方的ではあるが結んでいる以上、彼がこちらに敵対行動をするとは思えなかったし、実際少し会話をした印象は〝悪くない〟だったのだ。
 国をひとつ率いていただけはある知識量と、相手に合わせて言葉を選んで伝えてくる様はむしろ好印象でもあった。
 全体に対して放つあの上に立つもの特有の威圧的な喋り方と、個人に対しての相手を見据えた礼を尽くした話し方、その二面性を好ましく思ったのだ。
 嫌いにはなれないかな、それが彼のエメトセルクに対する第一印象となった。故に彼は暁の面々とはこのことについて、あまり自身の思いを口にすべきではない、と思っていた。

 〝悪くない〟彼の手触りはどうなんだろうな…そうぼんやり考えていると遠くからミンフィリアの呼ぶ声がした。もうすぐ夕餉の時間なのだろう、そよぐ風にふんわりと食欲をそそる香りが紛れ込んでいた。
 片手を上げて切り株の上から立ち上がり小走りに駆けていくその後ろ姿を遠くから見つめる者がいたことに気づかなかった。

+++

 また、失うのかと思った。

 エンシェント・テレポで地脈を彷徨うヤ・シュトラを引き上げてくれたのは、エメトセルクだった。
 戻ってきたという安堵感でろくにお礼も言えていなかったことに、とりあえず今夜はゆっくり休みましょうと言われて気づいた。
 気づいてしまったら、もう眠れるはずもなくて。
 少し風に当たってくると告げてファノブの里から青い花を辿って大きな木を一本ずつ眺めた。
(見え……るはずないか)
 森を支える大樹は太く大きく、その枝葉は悠々と空を覆い尽くして光を浴びている。
 時刻は夜。まだ深夜ではないが、大きな声を出して呼ぶことは躊躇われた。
 どうしようかな、と思案しながら呟くように名前を呼んでみた。
「…どうした」
 かけられた声に弾かれるように顔を上げれば、視線の先、数歩歩けば手の届く場所に緩慢とした態度でエメトセルクが立っていた。大樹が落とす木陰でその顔は見えなかったが、少なくとも怒り狂っているようには見えなかったので、オレは少しだけ声量を落として言葉を繋いだ。
「昼間は、ありがとう」
「なんだ、いまさらか」
「戻ってきてくれた、っていう事に驚きすぎてちゃんとお礼も言えてなかったなと思って」
 再度、本当にありがとうと頭を下げると鼻で笑う声が聞こえた。
「英雄様に感謝されるのも悪くはないな…もう少し遅かったら今一度地脈の中に戻してやるところだったぞ」
 そう呟く声はその語彙の強さの割に優しい響きでオレの耳に届いた。
「それは勘弁願いたいな…大事な仲間なんでね」
「それはそれは…」
 両手を上げて首を振るその大袈裟な仕草を、どこかぼんやりと眺める。
「なにか、して欲しいこととかあれば」
「昼間散々そこのヴィースどものために走り回っていたのに、さらに走り回りたいのかね」
「いや、そんなつもりは…走り回らされるのか?」
「例えだ、た・と・え」
 ゆらりゆらりと喋りながらこちらに近づいてきたエメトセルクは気づけば目の前にいた。
 その顔を下から見上げると、見下ろす視線と目があった。
「そうだな…昼間うっかり起こされてまだ眠気が来ないんだ。少し話し相手に……」
 そこまで言って、エメトセルクは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おまえ…それはわざとか?」
「へ?」
 エメトセルクの視線はオレを見つめ…いや、そのさらに下を見ていた。つられて視線を下に下ろすと、そのコートの裾を掴む自分の指が見えた。
「なんだ、英雄様は誘っているのか」
「うわ、ちが、ごめん、ちがう、ごめん!」
「落ち着け、なにも怒ってるわけじゃない」
 はぁ、と頭上で大きくため息を吐かれてオレは指を離しながら謝り倒した。
「クセなんだ、クセ。本当に、すまない」
 両手を後ろで組んで頭を下げる。我が事ながら、この無意識の行動は本当に良くないと思っている。
「…高いところは平気か」
 不意にかけられた問いに、自分でも驚くほど間抜けな声で大丈夫と頷いた。
 顔を上げたオレの腰と片手を掴んだと思った瞬間、ぐんと上に引っ張られる感覚に思わず喉から音が鳴る。
 あ、ともえ、ともつかない声を上げている間に足先に土の上とはちがう感触を覚える。
「…おちおちゆっくり話もできん」
 呟いたエメトセルクの声が近くで聞こえてどきりと胸が鳴った。はるか下方でオレを呼ぶ声がした気がした。

「暴れるなよ、ここはもう梢の狭間だ」
 言われてようやく当たりを見回す。先ほどはるか上空に見上げていた枝葉が手を伸ばせば届きそうにあちらこちらに自由に腕を伸ばしている。
 2人が立つ大樹の腹は人が2人座れる程度の広さをもっていた。エメトセルクが今夜の寝床にしようとしていたのだろうか、不自然に枯れ葉が払われている。
「…クセ、ねぇ」
 周囲を見回していたオレの耳にどこか揶揄するような声が届く。オレの腰と腕から手を離してエメトセルクが半歩下がると体がそちらへ引かれた。正確には、自由だったはずのオレの腕が。
「誘っているとしか思えんな」
 先ほどよりもしっかりとエメトセルクの上着を指で掴んでいる。恥ずかしくなってぱっと手を離すと沸騰した血液が全身を巡るかのような感覚を覚えた。
「び、びっくりしたから、つい」
 声が上ずるのがわかった。恥ずかしい。
 エメトセルクは一度肩を竦めるとゆったりとした所作でその場に座り込んだ。とんとんとその横を指で叩いてオレにも座れと促してくる。落ちることはないだろうが足場が不安定なのも事実、オレは素直にそれに従った。
「英雄様は他人の手触りが気になる、と」
 改めて人に言われると恥ずかしさが増す。だが事実でもあるし、目の前の鷹揚とした男に食ってかかっても、大人の対応であしらわれてさらに辱めに合うような気がした。
「そんなあけすけの好意を寄せられたら、光の巫女や双子の娘の方は戸惑うんじゃないか?」
「アリゼーにはモロバレしてるしなぁ…ミンフィリアにはすまないと思ってる」
 出会って直ぐの頃を思い出しながら頭を抱える。

 流石に女の子の短いスカートは無意識下でも避けたのか、オレの手はミンフィリアのリボンを摘んでいた。びっくりしたミンフィリアがサンクレッドに助けを求めようとして、そのリボンがはらりと解けたときのことを思い出しさらに俯く。

「あの保護者が煩かったろ」
 くつくつと喉の奥で笑うような声を潜めながらエメトセルクは会話を続けてくれる。
「目が…目が怖かった…」
「だろうな」
 目が笑ってないどころか、戦場で敵味方を区別するときの冷ややかな視線だったのを思い出してオレはぶるりと身動いだ。
「まさかおまえ、その辺の町娘どもにも」
 はたと気づいたような声で告げるエメトセルクの問いかけにガバリと顔を上げる。
「しないしない!! …っていうかなんで女の子限定なの!」
「あぁ、私の服も触っていたから男女混合ではあるのか」
「わざわざ確認しないでもいいです…」
 ぺたりと耳を伏せてオレはため息を吐いた。
「…オレが触れちゃうのは、本当に近しい人だけだよ」
「私はお眼鏡に適った、と」
「んー…いや、うん」
 歯切れの悪いオレの返答にエメトセルクはなんだ、と先を促してくる。
「あー…変な、話をするけどさ」
 自分の手をぼんやりと眺めながら独り言のように言葉を紡ぐ。
「敵味方の区別はオレにはないと思う。オレに近い人をオレは無意識で触れにいってしまうから」
 脳裏にゼノスの顔がちらつく。アレは明確な敵だった。けれど、オレはその手触りを確かめていたのだ。
 アサヒも、ヨツユも、触れた。触れて、確かめて、歩み寄れなかった事実を噛みしめた。
「相手の思想に触れる、といったところか」
「あー、たしかに。それが近いのかもしれないな」
 エメトセルクの声がストンと心に落ちていく。
「なるほど、英雄様はのんびりしているように見えてなかなか思慮深いのだな」
「んなことないよ。いつだって心より先に体が動いてる」
 実際触れているのも無意識なのだ、思慮深いとは言えないのではないか。
「それで?」
「へ?」
 問いかけに顔を上げれば、朝焼けに燃える太陽のような瞳と視線が交わった。
「私の手触りはどうだったね」
 両手を広げるその仕草は確かめてみろと告げているようで。
「触れて、いいのか」
「どうぞご存分に」
 ニヤリと笑うその姿におそるおそる手を伸ばす。

 コートの裾、上着のファー、金の装飾。布と革の手触りと、毛足の長いフカフカした優しい手触り、かちりとした金属の手触り。
 指先でゆっくりなぞると、沸騰するようなオレの思考を飛び越えて手が動いているのが見えた。
 あぁ、この体はオレの意識を超えている。その向こう側で本当に手触りが良いものを探している。
 エメトセルクの腕が伸びてきて自分より大きなその手がオレの目を塞いだ。
「見ても見なくても、おまえなら変わらんだろ」
 優しい声色にオレは従うように目を閉じた。
 指先はするすると滑るような布の感触。これは好きな手触りだ。
 布の感触、金属の感触、そして。
 少しひんやりとした肌の感触を指先に感じた。確かめるように何度も指先が触れる。
「良い」
 ぽつりと呟いたオレの言葉にふっと鼻で笑うような音が聞こえて、するりとオレの目を塞いでいた手が離れていく。
 ゆっくり目を開けると、オレの指がちょうどエメトセルクの唇に触れるところだった。
 たっぷり5秒、その光景を眺めてからオレは慌ててその手を離した。
「ごごごごごめんっ!?」
「気にするな」
 くつくつと笑われて、オレは触れていた指をどうしたものかとやわやわと遊ばせていた。
「お眼鏡に適ったようで?」
「……う、ん」
 問われると恥ずかしい。指に残る感触を確かめるように手を握り込んだ。
「…うん、エメトセルクは、手触りが良い人だ」
「そうか」
 彼に触れていた手をじっと見つめる。指先の感触はもう遠い彼方になっている。
「後にも先にも、アシエンに無遠慮に触れてきたのはおまえだけだろうな」
「…いいじゃないか、そんな奴が1人ぐらいいても」
「違いない」
 べたべたと触られた側なのにエメトセルクは上機嫌で笑った。そんな顔で笑いもするのか、とオレは眺めている。
「ありがとう」
「なんだ、藪から棒に」
「え、いや、触らせてくれて?」
「おうおう、お望みならもっと触ってくれてもかまわんぞ」
「ななななっ!?」
 わたわたと慌てるオレにまたくつくつとエメトセルクが笑う。
「そうだな、まずはここの大罪喰いを倒してこい。そうしたらもう少し触れさせてやる」
「さ、触りたいとかいってないし!?」
「触れたくない、と?」
 にやりと笑われて言葉に詰まる。

 手触りが良いものが好き。ずっと、触っていたい。

「さわりたい、です」
 完敗だ。
「ならせいぜい頑張ってくれたまえ、英雄様」
 答えを返そうと思った。だが次の瞬間にはスナップ音だけが耳に響いた。

 目の前にはファノブの里の入り口。目を瞬かせるオレに、入り口のヴィースの守衛が目を丸くしている。
「ご、ごめん。驚かせたよね!」
 慌てて立ち上がって声をかけると、ふんわりと笑ってお疲れでしょうしどうぞお部屋へと促された。
 まだ少し跳ねる心臓を悟られないようにありがとうと礼を言ってふと後ろを振り返った。
 梢の狭間はオレにはもう遠い場所になっていた。

――――――――――
2019.10.25.初出

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