アーモロート、この街はいつ来ても悲しみに沈んでいるね
世界があるべき姿に戻ってから幾日たっただろうか。
闇の戦士と呼ばれた私は、その日も1人海の底に沈む海底都市に来ていた。
あの男が作った幻影都市アーモロートは、あの日と変わらずそこに静かに横たわっていた。
淡く輝くエーテライトの光をぼんやりと眺める。
(わざわざこんなものまで置いてくれちゃって)
この街はあの男自身の莫大な魔力と創造魔法を駆使して作られている。本来ならば我々が到達することも叶わなかったかもしれない場所、そんな場所にエーテライトを置く必要などあの男にとってはないはずだ。
何度でも足を運べと言うことだったのかどうなのか、今となってはもうわからない。
滅びの前日を繰り返す街並みを眺める。自分より遥かに巨大な古代人の幻影が今日も災厄について同じ話を繰り返している。
時折横を通り過ぎていく古代人の歩く姿に、胸が痛くなる。あの男もああして少し背中を曲げて歩いていた。厭だ厭だと言い続けているから姿勢まで卑屈になるのでは、そう思っていた時が懐かしい。あの男はどこまでも、古代人であったのだ。
わかりあえると思っていたか、と問われると難しい。彼には彼の譲れない正義があった。例えそれが彼の抜けないトゲであろうとも、彼が永い永い時を耐え忍ぶために縋り続けた希望だったのだ。それを否定することは私にはできない。
街路樹の下のベンチに腰掛けながらぼんやりと考える。
もちろん、私たちにも正義がある。私はその正義を託されている。だから、負けるわけにはいかなかった。
それでもと、思ってしまう。
もっと時間があれば、もっと話ができれば、別の道を模索することもできたのではないか、と。もちろん、あの意固地な男が会話を重ねた末こちらに歩み寄るとは考え難い。会話して、議論して、双方納得した上で戦いに挑みきれなかった後悔だけが、しこりのように私の中にある。
そう、これは私の勝手なワガママだ。
「余計なお世話だ」そう面倒臭そうに言うあの男の姿を想像する。「これだからなりそこないは面倒くさい」とまで言いそうで、それはそれで腹が立つ。
あの日から、私だけが前を向いて歩けない。
世界に夜が戻っても、問題は何も解決していない。暁の面々は未だ魂だけ第1世界に召喚されている状態だし、世界のバランスも未だ一進一退だ。
私は膝を抱える。小さな身体をさらに小さくしながら思考の海に沈む。
原初世界では未だに帝国と一触即発状態だし、各国のバランスも取れているとは言い難い。
あの男の語ったアシエンの目的も、実際のところどこまで計画が進んでいてあと何人のアシエンがいるのか…私にはわからない。課題ばかりが山積みにされたまま、そこに手をつけられずにいる。
恐らく私が前を向いて歩き出すには、うんと大きなエネルギーがいる。そして今の私にはそのエネルギーどころか日々を「生きる」エネルギーもない。
…みんな、そんな私に触れないようにしてくれている。
それぞれに思惑はあるだろうけれど、それでも私が立ち上がるのを待っていてくれてるのがわかる。それが、今は、辛い。
代わりがきかないのは知っている。闇の戦士はこの世界には私しかいない。いずれ物事が動き出したら私も立ち上がらなければいけない。
ぐらりと身体を揺らし私は硬い石のベンチに横たわる。
(あの男なら…どうしたかな)
思考の隅に残る面影に手を伸ばす。もう届かない闇を掴もうと足掻いている。
私を通して誰かを見ていたあの金の瞳を思い出す。知らない名前を言いかけているあの男の姿を思い出す。
ハイデリンの一撃で14に分かたれた世界。似たようで違う面影を持つ鏡像世界。アルバートと私が対であったようにきっと見たことのある見知らぬ誰かがこの世界にもいるはず。
あの男は、私たちにそんな面影を見たのだろうか。最後の最後、立ち上がった私を見て驚愕していたあの顔を思い出す。泡沫の泡と語ったヒュトロダエウスの語りを思い出す。私は、あの男の大切な何かの一部だったのだろうか…
考えるほどドツボにハマるのはわかっている。思考の海はどこまでも広く複雑で、迷い込めば早々には出てこれない。答えの出ない逡巡の先には何もないことも知っている。
(もっと旅がしたかった)
厭だ厭だと愚痴る男を連れて、もっと世界を見ればよかった。いろんな話を聞いて、同じくらいいろんな話をしてあげればよかった。お前がなりそこないと呼びながらも捨てきれなかった私たちは、こんなにも必死に今を生きているんだともっと伝えればよかった。
(あぁでも、疲れたな)
ぼんやりとどこを見るでもなく視線を緩く彷徨わせる。いずれ消えてしまう明かりが瞼の奥でキラキラと輝く。
(ここで歩みを止められないけど)
全てをなかったことにして忘れてしまえればよかったのに。あの男は私に爪痕を残して居なくなってしまったのだし。
不滅なる者、ガレマール帝国初代皇帝、最古の魔術師、アシエン・エメトセルク…
「……ハーデス」
ゆっくりと瞳を閉じて、名前を呼ぶ。答える声がないことを知りながら。
(創造魔法が使えなくて、よかったよ)
今の私なら、居なくなった男をなりふり構わずもう一度作り直すくらいはしでかしたかもしれない。自嘲気味に笑った声が街角に消えていく。
遠くから聞こえてくる過去からの残滓。「大切な人と離れてはいけないよ」そう語りかけてきたのは誰だっただろうか。
まぶたの裏でゆらゆらと波に揺られた陽光が揺れている。底の底にいてもなお届く暖かな温もり。
もう少しだけ、このまま揺蕩っていようか。この冷たくも暖かい泡沫の街で。
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2019.08.06.初出