そこに在るだけで、世界は滅びに向かっていく。強い光はもう世界に影を落とさせない。
「お前はここに居るだけでいい。やりたいことがあるなら、それをすればいい。わたしはお前に強要はしない。」
 エメトセルクは海底都市アーモロートに大罪喰いと化した闇の戦士…アガペーを招き入れ、彼女にそう告げた。
「やりたい、こと」
 大罪喰い化の影響か、その唇から紡がれる言葉は極端に舌ったらずになった。まるで子供のようだな、とほくそ笑むエメトセルクのすぐ後ろで彼女は考え込んでいた。
「…時間だけはたっぷりあるんだ。見つかったら成せばいい。」
 長い廊下を伴って歩く。実際彼女は両の足で歩む必要はないのだが、以前からの習性かペタペタと何処か間の抜けた足音を響かせエメトセルクの後ろをついて歩いていた。
 エメトセルクが足を止める。
 長い廊下の突き当たり、大きな扉が2人の前にあった。
「さぁ、どうぞ」
 恭しく礼をしながらエメトセルクはその部屋に彼女を招き入れた。
 扉とは裏腹に部屋は小さく、そう大きくない家具が詰まっていた。
 まだ考え込んだまま、アガペーは部屋の中に足を踏み入れていく。ゆっくりと少女と部屋の中に入ったエメトセルクは、そのまま横を抜けてソファに直行し砕けた様子で腰掛けた。
 まだ入り口で立ち止まったままの少女に手を差し伸べる。
「そこにいても仕方あるまい…きなさい」
 呼ばれた少女はゆっくりとエメトセルクに近づき、その手の目の前で止まった。少し考えたのち、そっとエメトセルクの指に自身の指を重ねた少女はそのまま小首を傾げた。
 その指を振り払わずに、つたい、手首を掴んだ彼は少々力任せに彼女を引っ張り自分膝の間に座らせた。
 小さくなった少女は、ポツリと呟いた。
「やりたい、こと…わからない…」
 それは大罪喰いになったが故にわからないのか、以前から特にやりたいことがあったわけではないのか、エメトセルクはその白く変質した髪を撫でながら次の言葉を待った。
「たたかうこと、しか、しらなかったから」
 漏らした言葉に胸が痛んだ。どうしてこうも、なりそこないどもは、と出かかる言葉を押しとどめる。
 つまるところ、あいつらはこの子に戦い以外を望まなかったのだ。もしかしたら冒険に出始めた本当に最初の頃なら、あったのかもしれない。夢や希望やなりたい姿が。だが、なまじ受けてしまった光の加護のせいで、彼女はそういったものを置き去りにせざるを得なかったのだ。
 そういえば、と振り返る。旅の間、彼女は私に話をねだることがあった。私は私の知りうる限りを伝えた。他の旅の仲間にも同じように話をねだっていたのを見てはいる。
 …だが、彼女の話を聞いたことがあっただろうか?何かの弾みでもいい。自分のことを話している姿を見かけただろうか?
 エメトセルクの膝の間で器用に体を小さく折り曲げ、自身の膝を抱えて遠くを見つめるその姿に、どうしてと声が出かかる。それを彼女に問うたところでもう全てが遅いのだ。
 置いてきたものはあまりにも多すぎて、だからこそ彼女は英雄となり大罪喰いとなったのだ、そう納得させるしかなかった。
「…探せばいいさ」
 髪をひとふさ手に取り、口づける。
「さが、す」
「置いてきたもの、持てなかったもの、もう一度探してみればいいじゃないか」
 その髪を優しく撫で、その腕を手に取る。
「お前は生きて…そう、まだ生きて、ここにいる。いくらでも探せるさ」
 その手の甲に恭しく口づける。
「でも…」
「邪魔するものなど気にかけるな。それはお前にとってはもう無価値なものだ。前を向け、シャンとしろ。お前はもう自由なのだから」
 誰に対して語りかけているのか、綯い交ぜのままエメトセルクは言葉を紡ぐ。
 小さな白い手がエメトセルクの頬に触れる。ひんやりとしたそれはどこまでも優しく彼の頬を撫でた。
「お前を踏み躙ってきた全てを、嘲笑ってきた全てを、笑い返してやれ。私たちは生きてここにいるんだと、笑い返してやれ」
 吐き捨てるように叫ぶ彼に、少女が向き直りそっと両手で頬を包んだ。
 困った様に小首を傾げる少女の姿に泣きそうな気持ちになる。
「…いいんだ、もういいんだ。気にかけるな、手を伸ばすな。振り払え、押し返せ。もう、自分のことを、見てやれ…」
 悲しげな表情のまま、アガペーはエメトセルクの頭を抱える様に抱きしめた。百合の花にも似た香りが、彼の鼻をくすぐった。そのままあやす様に頭を撫で髪をすくその仕草にまた胸の奥が痛む。
 例え大罪喰いになろうとも、彼女はどこまでも彼女なのだ。他者を気にかけ、手を伸ばし、裏切られても、振り払われても、ただ隣人を愛した。
 ああ、お前こそ、無償の愛(アガペー)と名乗るにふさわしいよ。
 その優しい動きに身をまかせる様に、エメトセルクはゆっくりと瞳を閉じた。
 窓の外から差し込む光がゆらゆらと2人を照らしていた。

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2019.07.30.初出

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