作家業は何も家に詰めてずっと机に向かっているわけでも無くて。
もちろん書くことが本業であるから机に向かってる時間は一般的な人よりは長いだろうという自負はあるが、違和感なく話を書くためにはどうしても取材や研究も必要になる。
そして今は、その諸々の調整のために渋々出版社を訪れているというところだ。
「少々お待ちください」
私の顔を見てすぐに内線を飛ばしてくれた受付の女性はそうにこやかに笑った。
受付横に置かれた企業パンフレットをぼんやりと眺めながら担当の到着を待つ。
ややあって、エレベーターの扉の開く音が聞こえてきたのでそちらを振り返った。
「やぁやぁ、おまたせ」
片手を上げてダークグレーのスーツに身を包んだ担当編集…ヒュトロダエウスはこちらを見ながら目を細めた。
「編集長様はお忙しそうだな」
「ほんとにね、誰か変わってくれないかなぁ」
肩を竦めるヒュトロダエウスは学生時代からの悪友で、私に作家の道を示してくれた親友でもある。彼が賞に出してみろと言ってくれなかったら、未だにうだつの上がらない中年のままだった可能性もあるので、彼には感謝しかない。
「ところで」
「ん?」
私は彼の背後にいるであろう小さな人影を指し示す。
「そちらは?」
「あぁ、面白そうな子だったから僕直属で見ることにしたバイトちゃん」
ほらほら、と促されて出てきたのは、光の妹ひかりだった。
「…ひかり、ちゃん?」
「あ、れ。え、ほんとに?」
「おやおやぁ?」
驚愕の声を上げる私たちにヒュトロダエウスがにやりと笑う。
「…犯罪?」
「なんで、そう、なるんだ!」
掴みかかる勢いで告げれば、両手を軽く上げてくすくすと笑いだす。
「とにかくここじゃなんだし、近くの喫茶店でも行こうか」
へらりとこちらを躱してヒュトロダエウスが歩き出す。私とひかりも顔を見合わせてそれに従った。
「行きつけのお店のマスターの妹さん、ねぇ」
アイスティーにホイップを足したものにガムシロップを3つも追加して、ヒュトロダエウスはそれを美味しそうに啜った。
近くの喫茶店でボックス席に座った私は隣に座ったヒュトロダエウスを冷めた瞳で見つめた。こういう喋り方をするときは、こいつは大抵ろくなことを考えていない。
「え、マスターさん美人?」
「男だ、馬鹿者」
私たちの正面でひかりは借りてきた猫のようになっている。私もガタイはいい方だが、ヒュトロダエウスも背がひょろ高い。店員さんも何度もこちらを見ている。目立ちすぎる。
「まぁ、あらためて。僕の担当作家さんのエメトセルク。君も一緒に担当してもらうよ」
「エメト…セルク…えっ、えぇ!?」
「あれ? 知ってそうで知らなかったの?」
ヒュトロダエウスが不思議そうな顔でこっちを眺めてくる。やめろ、その目は。トラブルを楽しむんじゃない。
「兄からは、ハーデスさんと」
「へええええええほおおおおおお」
「やめろ、その声、その顔、その目」
「いやぁ、ふううううん」
気づいたら無くなったアイスティーのお替りを頼んでヒュトロダエウスが私を見る。
「エメトセルクさんの本は、兄が大好きで。私も読ませてもらってたんです」
「もらってた?」
「あ、今は自分で買ってるんで」
「なるほど、それは素晴らしい」
本一冊1000円から1500円。高いものでは2000円を超えるものもある。そこそこ高額な部類に入るハードカバーの本主流の私の本は学生のお小遣いでは辛いものがあるだろう。辛い思いをしてまで読むものではない。
「熱烈な読者さんなのに明かしてなかったのかい?」
「…マスターの方には伝えていたよ」
「あぁ、なるほど」
にんまりとその唇が弧を描く。脅しをかけてくるんじゃない。
2杯目のアイスティーにやはり大量のガムシロップを投入しながらヒュトロダエウスは楽しそうに笑った。それを見た店員がすごい顔をしていたのは私だけが知っていればいい。
「彼女のことは…君のが知っているのかな?」
「いや、名前ぐらいしか…」
「そう。学生の職業体験制度の一環でうちの編集部に来てね。話を聞いたらエメトセルクの本の愛読者っていうから僕の元に入ってもらうことにしたんだ」
「あぁ…そういうことか」
学生への職業体験、今後の進路を決める上でも重要になるだろう。そういう意味ではひかりはラッキーだったのかもしれない。
「とりあえずは1か月、学業の合間を縫って体験してもらって、もしよければそのままアルバイトとして採用したいなって」
「ほぉ、そこまで考えてるのか」
「なんだかんだこちらも人が足りない昨今ですから…」
不況だ不況だと騒がれて久しい昨今、ともすればブラック勤務になりかねない編集業界にもその波は押し寄せているようだ。
「とはいえ気負い過ぎてもダメだからね。そこは気楽に気楽に」
2杯目の紅茶を飲み終わったところでようやくこちらの本題が始まる。
「それで、取材の件は」
「んー、半分はOK、半分の半分は条件付き、残りはバツ」
「まぁ、妥当な線か…」
ふむ、と呟いてようやく私は自分のアイスコーヒーを飲み始めた。すっかり氷で薄くなっている。
「取材OKのところはこっちでも手分けして資料集めはしておくよ。問題は条件付き。やっぱりキミが行かないとどうしようもないねぇ」
「最終的には全部自分で行く予定だったから問題はない」
資料を見ただけでは取材をしたとは言い難い。事前資料ももちろん大事だが、現地で自分で見聞きしたことの方が重要になる。学術でも作家業でもそういったところに変わりはないと思う。
「まぁ、そう言うよね。リストはメールで投げるから日程はそっちで詰めちゃって」
「わかった」
「…あの」
黙ってノートにメモを取っていたひかりがおずおずと声を上げる。
「エメトセルク…さんにはマネージャーさんみたいなのはいないんですか?」
「あぁ…私がデビューしたころはそういう制度も少なくてね。しばらくは彼に手伝ってもらって…気づいたら、そのまま出版社にいたよな?」
「まぁ、やり取りすること多かったからね。そのまま引き抜きみたいな形で担当編集になったんだ」
さすがに2杯アイスティーを飲んだので体が冷えたのか、3杯目に選ばれたホットココアが運ばれてくる。これにはガムシロップの大量投入はないようだ。
「まぁこれは特殊なケースだと思ったほうがいいね。それだけ当時からエメトセルクが期待されていたということさ」
「どうだかな」
駆け出して間もない作家を囲っておくのが正解なのかは未だにわからない。ただ、ヒュトロダエウス以外の下で文章を書きたくないのも確かだった。
「あとはまぁ…ここで話すことではないか」
いくつかの封筒を受け取って鞄へしまい込む。頼んでいた見に行かなくても済む資料の一部だろう。やはりこういう時大手出版社というのは強みになる。
「ところで、さ」
「…なんだ」
厭な予感がしてほんの少しだけヒュトロダエウスから距離を取る。とはいってもでかい図体の男が二人並んで座っているのだから取れても半身を引く程度なのだが。
「その行きつけのお店、何時からなの?」
やっぱり、そんなことだろうと思った。
「連れて行かないぞ」
「えぇー、たまには旧友と友情を確かめ合ってもいいじゃない」
「今日じゃなくていい」
ヒュトロダエウスの瞳がにんまりと歪んでひかりの方へ向く。
「お兄さんのお店何時から?」
「え、あ、22時くらいから…ですけど…」
「ひかりちゃん、真面目に答えなくていい」
「ふーんふーん、エメトセルクはそんなこと言っちゃって大丈夫なのかなー」
「な、なんだ」
酷く楽しそうな笑顔が癪に障る。
「ひかりちゃんに君のあることないこと吹きこんで、お兄さんに伝えてもらうこともできるんだよ?」
「……」
本当に、本当に、こいつは!!
「おじさんの話ばかりされても困るだろ」
「えぇ、そうかなぁ。憧れの作家さんの裏話とか、興味あるよね?」
問いかけられたひかりは首を縦に振っている。やめろ、君まで同じ顔をするんじゃない。
「あぁでも22時からだったらひかりちゃんはさすがに一緒には行けないか…」
明日が休日でもさすがにダメだよねぇと呟くヒュトロダエウスにとどめの一言が突き刺さる。
「今日…行くって言ってあるんです…」
「ばっ…!」
「やったね! これでもう行くしかなくなったね!!」
この場合トドメが突き刺さったのは私なのかもしれない。
対照的な我々の声に、店員が一斉にこっちを振り向いた。あぁ、目立ちたいわけじゃないんだ…。
「でも22時まで待つってのはできないね。ひかりちゃん未成年だし」
「あ、じゃあ兄に聞いてみます」
言うが早いか、ひかりが店の外へと駆けていく。あぁ、楽しそうにスキップまでしてる…。
「ヒュト」
「やだこわい」
「お前、どういうつもりだ」
「やだなぁ、親友の心配してるだけだよ」
ヒュトロダエウスは私に顔を寄せて小声で呟く。
「人嫌いのエメトセルク先生が自分の名前を教える相手の心配をね」
その含むような声色に、私は普段から顰めている眉をさらに顰めた。
+++
「いらっ…しゃいま…せ?」
ひかりがどういった説得を行ったのかは不明だったが、22時開店のお店に19時に来店しても大丈夫という約束を取り付け今ドアを開けたのだが。
光は私を見て固まっている。
「ハーデス、さん…?」
「兄さん、私、私もいる」
私とヒュトロダエウスで隠れてしまったひかりが、ぴょこぴょことジャンプしながら存在をアピールしている。場所を譲るように店の中へ滑り込めば、ひかりが勢いのままカウンターにぱっと飛びつく。
「うん、うん、え?」
私と、ヒュトロダエウスと、ひかり。三人を見比べて色素の薄い瞳が瞬いた。
「はじめまして。ひかりさんの職業体験制度で彼女の担当になったヒュトロダエウスと言います」
流石に場慣れをしているヒュトロダエウスが名刺をさっと差し出して光に挨拶をした。光もカウンターから名刺を取り出して挨拶を返す。
そういえば私とはそういうやり取りをしてなかったから名刺の交換すらしていないな、などとどうでもいいことを思い出す。
「ご丁寧に。Bar:Azureのマスターをしております」
それを見ていたひかりがぽつりと呟く。
「兄さん、名刺なんて持ってたんだ」
「…ひかりは僕のことをなんだと…」
「お店から出てこない人」
んべっと舌を出したひかりは私の背後に隠れる。私には強く出れない光のことをよくわかっている行動と言えた。
「急に早くお店を開けたいただいて、ありがとうございます」
すかさず援護射撃をしたのはヒュトロダエウスだった。腐っても編集長、愛想笑いと言いくるめなら彼の右に立つ者はいないかもしれない。
「いえ…看板さえ出してなければどうとでもなりますから」
そう、光の店は不定休なのだ。
基本的には開いているのだが今日の今日休むということもままある。休まないよりは…とは思うのだが、店が閉まっているときにどうしているのかわからないという点では少し気がかりでもあった。
「とりあえず、お席へ」
光が奥の席を指し示す。遠慮なく一番奥の席を陣取ればにやりとヒュトロダエウスが笑う。
「なんだ」
「いやぁ、そこが定位置かって思ってね」
ヒュトロダエウスが横に座りながら笑う。その横にひかりが座って微笑んだ。
「…皆さんお食事は」
「軽くは食べてきた」
「では何かつまめるものでも」
光はそう告げてカウンターの奥、彼の部屋へのドアのその奥へと向かう。簡易キッチンがあるのだろう。
「兄さん、何か手伝う?」
「大丈夫だよ、今日はそちら側に」
光は袖を捲りながら暖簾の向こうへ吸い込まれていく。
「こっち側座るの初めてなんで、ちょっと、落ち着かないです」
ひかりはそう言ってふわりと笑った。やはり、笑った顔は似ている。
「遊びにはよく来るのかい?」
「はい。…ほぼ避難所みたいな使い方ですけど」
「本当だよ…あの、お二人はレバーは大丈夫ですか?」
皿を三つ手にして光が戻ってきた。
「私は大丈夫だが…どうだったか」
「ワタシも平気だよ」
ヒラヒラと手を振って答えるヒュトロダエウスの反応に胸を撫で下ろしながら、我々の前にそれがことりと置かれる。
「レバーのパテです……まだ試作を詰めてる段階なので、お口に合うといいのですが」
小さなココット容器に盛られたレバーパテにカリカリに焼いた薄い食パンが添えられている。
「レ、レバー…?」
「本当は、ひかりにこそ食べてほしいんだけどね…」
ひかりの前にも同じ皿を置いてから、光はカウンターの下の冷蔵庫を覗き込んだ。取り出したタッパーから何かを小皿に盛り付けている。
「こちらも、どうぞ。マスカルポーネにチェリージャムを添えたものです」
ことりと置かれたのはいつぞやに食べたイチジクの入ったチーズに似ていた。
「お飲み物は、どうしましょう」
「お酒にはまだ早い気もするけど、レバーにはお酒を合わせたいねぇ」
ヒュトロダエウスがワインとかあいそうだね、と微笑んでいる。
「そうですね…ワインはあまり、ないんですけど、カリフォルニアワインだったかな…それの赤ならお出しできます」
小さなお店ではワインセラーを置くことはままならない。それは我々も承知の上だ。
「うん、ワタシはそれをお願いしようかな。エメトセルクは?」
「私も同じもので」
「かしこまりました…ひかりは、コーラとオレンジジュースどっちがいい?」
「コーラ…かなぁ」
光が今一度暖簾の裏に消えて、ワインの瓶を携えて戻ってくる。ワイングラスを2つ取り出し手慣れた手つきで注いでいく。
三人の手元に飲み物が揃ったところでヒュトロダエウスが光に声をかける。
「マスターも一杯」
「…いえ、このあとがありますので。お気持ちだけで」
お冷の入ったグラスを持ち上げて光は微笑んだ。
「いやぁ、エメトセルクが気に入るのも納得するいいお店だね」
「なんだ、気色悪い」
多少のお酒を入れてご機嫌なままヒュトロダエウスは笑った。
レバーペーストの後野菜もどうぞ、とピクルスの盛り合わせとアボガドとトマトのサラダをごちそうになって、いい具合に腹も満ちてきたところだ。
時刻は23時少し前。まだ店のドアの舷窓のカーテンは閉じられたままだ。
「ひかり、そろそろ向こうに行きなさい」
「えぇ、まだ平気」
「そういう約束だろう?」
0時前には布団に入るという約束なんです、と光は笑った。確かに寝る前の準備などを考えたらいい時間であろう。
「ワタシたちにつき合わせちゃってごめんね? こっちは適当にやっておくからゆっくり休んで」
ヒュトロダエウスの言葉に私が頷くと渋々といった体でバースツールから降りる。
「それじゃ、ごめんなさい。お先に失礼します。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ」
ぺこりと頭を下げて暖簾の向こうのドアからひかりが隣室へと姿を消す。
「…お世話を、おかけしたようで」
その後ろ姿がしっかりとドアの向こうに消えてから、光は小さく口を開いた。
「いやぁ、たぶん今後こっちがお世話掛けるほうだと思うよ」
「こいつの下だから、きっとすごく、面倒な事になると思う」
「ひどいなぁ」
光は私たちの会話を聞いて嬉しそうに笑っていた。ひかりと初めて会った日のような、どこか怯えるような面影は今はない。
「でも実際、うちもそこそこ大手とはいえ昨今の煽りで人手は足りていないからね。若い子がこの業界に興味を持ってくれるのはとてもありがたいんだよ」
「新しい風を入れないとどうにもならなくなるのはどこの業界も変わらんな」
まったくだねぇ、と笑いながらヒュトロダエウスも杯を傾ける。二人とも水割りを飲んでいる。ゆっくり時間を過ごすには適したお酒だと言えよう。
ひかりの座ってた席をさっと片づけた光が大変ですね、と笑う。
「まぁ、自分で選んでこの道に入ったからね。弱音ばかりは言ってられないんだけど」
グラスの中身を一気に飲み干したヒュトロダエウスが立ち上がる。
「さて、ワタシもこのへんで失礼しておこうかな」
「え」
「なに? もっと喋りたいの?」
「いや、お前にしてはあっさり帰ると言い出したなと思って」
ひどいなぁ、と笑いながらヒュトロダエウスがカバンを漁っている。
「いやすっかり忘れてたんだけどね、やりかけの仕事と近所のみーちゃんの餌やり忘れてたよ」
「みーちゃん」
「みーちゃん」
野良猫だよ? と笑うそのお道化た姿はどこまで信じていいのかわからない。
「マスター、お会計を」
「いえ、いただくわけには…」
「美味しいものを馳走になってしまったからね、そうもいかない」
「でも…」
うぅん、と光が唸る。おそらく、まだ店を開けていないから我々を客としてカウントしていないのだろう。
「うーん、じゃぁ、これを」
ヒュトロダエウスは白い封筒をひとつ光の前に差し出した。首を捻りながらそれを受け取った光はそっとその中へ指を入れる。中からチケットが2枚出てくる。
「今度うちの出版社で展覧会をやるんだけどね、それの地方開催のチケット。エメトセルクの直筆原稿の複製とかも飾られるよ」
「おい、初耳なんだが?」
「あれ、そうだっけ?」
減るものじゃないしいいでしょ、と笑うヒュトロダエウスに睨みを利かせる。こういうところが油断ならないんだこいつは。
「この開催場所ね、ちょうど彼が取材に行こうと思ってた場所の近くなんだ。一緒に遊びに行っておいでよ」
「は?」
「…はい?」
「エメトセルクはあとで宿決まったらこっちに請求投げてくれていいから。じゃ、ワタシはこの辺で。おやすみ~」
ばたん、とバーのドアが閉じられる。あとに残されたのは、あっけにとられた私たちだけだった。
「え、えぇと……?」
こういうのをなんの下調べもなしにさらりとやってのけるから、ヒュトロダエウスは怖いのだ。言葉を失っているのは私も同じなんだ、縋るような目で見られても困る。
「あー…展覧会があるのは知ってた。私の原稿が飾られるのは本当に知らなかった」
ちらりとチケットを覗き込む。確かに、私が取材に赴こうと思っていた場所に近い。どこまでが計算でどこからが素なのかがわからない。
「…だが、光にも店があるものな」
「え、あの、いえ、その」
光はチケットと私を交互に見比べている。だいたいどういうつもりで一緒に行けなどと言ったのだ、ヒュトロダエウスは。
「見て、みたいです…」
小さな勇気を、光は振り絞ったようだ。小さな声が狭いバーの空気を揺らす。
「いいのか? おじさんと二人旅になるぞ?」
私の言葉に状況を理解した光の頬がみるみる赤く染まっていく。
「……ハーデス、さんこそ」
「ん?」
「僕、で、いいんですか?」
勘違い、しそうになる。
チケットで口元を隠すようにしながら、少し潤んだ瞳が私を見つめてくる。
「厭だと、言うと思ったか?」
くすりと微笑めば光の顔がますます赤くなる。
「光がいいと言ってくれるなら、喜んで」
恥ずかし気に俯いた瞳が、私だけを映して微笑んだ。
行き先の見えない旅が、始まろうとしていた。
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2019.11.29.初出