「…相変わらず死に急いでるな」
 レイクランドの廃村の倉庫に押し込まれて固い木箱に押し付けられたまま、降りてくる声に顔を上げる。打ちつけられた木枠の隙間から漏れる光がふたつの人影をひとつにする。
「…うん」
 背中に感じる固い感触に少しだけ体をひねる。角が刺さって痛い思いをしなければそれでいい。返答に少しだけ眉をひそめた気配を感じてそちらは見ずに小さくため息を吐く。
「…干渉、しない」
「そうだったな」
 鼻先が触れるほど近づいてようやく相手の顔をぼんやりと認識する。少し困った表情で、アシエン・エメトセルクと名乗る男は嗤う。そのまま流れるように唇を塞がれるのを黙って受け入れた。

++

 きっかけはなんだったのだろうか、とその手袋の肌触りを感じながら考える。思い出したところで現状は何も変わらないのだが。
 ただ…そう、ただ人肌が恋しかったのだ。英雄殿の悪癖などと仲間には呼ばれはしたが、こちらだって人なのだ。命を賭ける戦いの後にはただ押し潰されそうになることもある。聖人のように振舞うことなんてできない。
 切り裂いた肉の感触を忘れるために酒に溺れ、色に酔う。何度も体を大切にしろと言われたがもうどうしようもない。それでも仲間内に手を出してないだけマシだろうなどと誰に言うでもない悪態を吐く。
 原初世界ではそれでよかった。小さな酒場で酔って、一夜限りの熱を奪って、朝日が登ればおしまい。そんな関係を持てるだけの薄暗い場所がそこここにあった。
 だが、生きることに必死な第一世界ではそうもいかない。そういった場所がないわけではないことは察しがついていた。だが、そこへ行くことができなかった。仄暗い感情を吐露するにはこの世界は眩しすぎるし、有名になりすぎた。なにより、あの闇色のフードの奥から真っ直ぐ注がれる憧れの視線が僕の居心地を悪くさせた。真っ向から英雄などと呼ばれて苦虫を噛み潰すしかない。
 どうしようもない衝動を抱えたまま、酒場を通さず安酒を買い込んでせめて酔って潰れてしまえればと、自室にも戻れず彷徨う僕の前に彼は現れた。
「何をしているかと思えば」
 心底冷たい瞳は、僕を蹂躙していったあの目に似ていた。廃墟の崩れた塀に腰掛けたこちらを夜の闇を照らす月と同じ色の瞳が見つめてくる。
「……安酒だな」
 すでに足元に散らばった酒瓶を視線を投げて一瞥してエメトセルクはフンと鼻で笑った。何本目かわからない酒を煽りながら僕はそれを見ている。
「何か、用?」
 声を出すのも億劫で、短く吐き出す。この男もやいのやいのと言い始めるのだろうか、そう考えるだけでたいして酔えていないのに酔いが覚めていく気がする。
「隣いいか」
 肩を竦めてどうぞと促し、少しだけ場所を空ける。ララフェルの中でもさらに小さなこの体の横に、大きな影が被さる。腰掛けた彼はこちらを見ずに指先をスナップさせてボトルとゴブレットをふたつ作り出す。栓を外してゴブレットに注ぎ私に差し出してくる。
「……どういう」
 眉をしかめるのはこちらの番だった。
「飲まんのか」
 今一度ずいっと差し出されて、思わずそれを手に取る。並々と注がれた葡萄酒の香りが夜風に混ざる。なかなか…いや、かなり極上のワインのように思える。
「毒など入っとらんよ」
 もっとも入ってたとしても私には効かぬが、そう付け加えながらゆるりとゴブレットを回転させたエメトセルクはゆっくりとその喉へ葡萄酒を流し込んだ。
 作法など知らない僕は数度鼻先を近づけて香りを確かめちびりとそれを舐める。安酒特有のぴりぴりした刺激もなく、濃厚ながらもするりとした芳香な香りが口内を満たす。
「もう少しマシな酒を呑め」
 二杯目を自身のゴブレットに注ぎながらエメトセルクが告げる。
「頼めばもっとマシな酒をいくらでも融通してもらえるだろ」
 ゆっくりと飲んでいたこちらの杯にも追加を注いでいく。あからさまに向こうのペースが早い。
「いいんだ、安酒で」
 呟いて注がれた葡萄酒をまたちびりと舐める。安酒のようにあおって飲み干すのは些か勿体無い。
「目的が、違う」
 柔らかなアルコールの刺激に、悪酔は無理だなと諦めの色を帯びさせる。極上の酒は記憶を奪い去るような酔い方をさせてくれない。
 満点の星空はいいつまみになりそうだし、記憶の混濁もない。あぁ、これは酷い夜になりそうだな、とため息を吐く。
「なんだ、不満か?」
 何杯目かわからないほど速いペースで杯を傾けるエメトセルクは片眉を上げてこちらを見ている。
「不満だね」
 短く切って捨てて、杯を横に置く。これ以上酔えない酒を呑みたくない。安酒を手に取れば、その手を掴まれる。
「僕は酔いたいんだ」
 その手を乱暴に振り払う。人の熱は今の僕には毒でしかない。
「お説教なら聞かないよ」
 極上の時間を上書きするようにあおれば、ぴりぴりとアルコールが喉を走る。味などかけらも感じない焼ける感覚に脳が震える。
 隣で肩を揺らしてエメトセルクが嗤った。その声に驚いて目を見開いてそちらを見れば、まだ喉の奥で嗤いを噛み殺しながら心底楽しそうな顔をしている。
「あぁ、すまん…いや、気に入ったぞ」
 目を丸くするこちらを面白いおもちゃを見つけた顔でこちらを見ている。
「そりゃ…どうも」
 無遠慮に見られることには慣れている。また、喉にアルコールを流し込む。
「安酒じゃ余計酔えないだろ」
「気持ちよく酔うことが目的じゃない」
 ぶっきらぼうに言い放てばなるほどと声が漏れる。伝わるとは思えないな、と肩をすくめるこちらの予想を乗り越えてエメトセルクは言葉を重ねる。
「ならば、酔ってみるか? 人の色香に」
 言われた言葉を3度反芻する。何を、言った?
「…っは……お慰み?」
 吐き出した言葉が空虚に響く。吐き出した言葉とは裏腹に体の芯が疼くのがわかる。黙っていろ、こんな時ばかり即時反応するんじゃない。
 こちらの気持ちなど慮ることもないその男は、つらつらと言葉を重ねていく。
「単純な興味だ。我々に反旗を翻す英雄様に対する興味と……そうだな、お前自身にも興味がある」
 僕を指差したその指が、上から下に降りてくる。腹で止まったその手から視線を外せない。
「お前の中の、その真っ黒な澱を暴きたくなった」
 低い声に目線を合わせれば、ぞくりとするほど歪な眼光がぎらぎらとこちらを見ていた。獲物を狩る狩人の目にちりちりと皮膚が焼けるような気がした。
「なにも、ないよ」
 澱をかき分けたところで芯など何も見えずただ空虚な骸だけが転がっているだろうに。伝えた言葉ににやりと音がしそうなほど嗤う。
「それもまた良し」
 物好きな、吐き出すように言葉を吐いて目線を合わせていたその唇に唇を重ねる。重ねるだけで遠ざけて睨みつける。
「幻滅しても、責任取らないよ」
 ぺろりと唇を舐めとれば面白いとその手が伸びてくる。頬を掴むように包まれてうわむかされる。
「その中を見せてみろ」
 互いに睨み合ったまま、噛み付くように唇を重ね合わせた。

++

「何を、考えている」
 服を脱ぐのももどかしいまま半端な体勢で体を繋げ合う。噛み付くような口づけはあの時から変わらない。目線の合わないこちらに業を煮やしてエメトセルクが強く突き上げながら尋ねてくる。
「…別、に」
「こんな時まで別の心配か」
 ぐりっと奥を深く抉られて、呻き声が上がる。あの時から、重ねる体に優しさはない。
「…どうしてこうなったんだっけ、って」
 奥を突かれる息苦しさに耐えかねて言葉短くそう告げる。ほぅ、と呟いたその腰の動きが少しだけ緩くなる。息を吐き出して苦しさから解放される。
「なんだ、郷愁でも感じたのか」
「そんなんじゃ、ない……っ!」
 抽送は止まらず無駄口を叩く間にも体は追い上げられていく。良い所を突かれれば体が跳ね声が上擦る。
「…ここか」
 エメトセルクは跳ねた場所を執拗に攻めてくる。そんなことしなくても、ただ熱を分け与えられるだけでもう腰の奥がぐらぐらしているのに。
「…っう……ふっ……そこ、ばっか…っ!」
 非難の声を上げればそうだな、と意にも介さず今度は奥を強く攻められる。体格差ゆえに浮いた爪先に快感がびりびりと走り跳ねる。木箱の上に背中を預けただ一方的に突かれる。優しさも思いやりもないその行為が僕を救うとも知らずに。
 がつがつと獣のように互いの性を貪る。仲間達には見せられない姿だな、と薄く笑う。英雄らしくないと言われてしまうだろうが、これが僕だ。誰も見ない本当の僕だ。お前たちが善であれと願った僕の本質だ。
「…良い顔をしている」
 エメトセルクがその攻めの合間にニヤリと笑う。差し込む光は弱すぎてその顔に深く影を落とす。それが、2人で背徳的な行為をしているのだと示すようで心が躍る。
「……ちょうだい」
 襟首を掴み引き寄せれば唇が降りてくる。互いの唾液を交わらせこくりと腹の奥に落とし込む。繋がった奥の奥がそろそろこちらにもときゅうきゅう締まる。甘い嬌声は生憎この喉から出ることはないけれど、掠れた声でもっとと求めれば応えるように抽送が早くなる。
「…出すぞ」
 低い獣のような唸り声で告げられ、エメトセルクの欲望が僕の奥底に叩きつけられる。狭い胎内に留め置けないそれは結合部から溢れて床に染みを作る。強く体を硬らせて自身に訪れた快楽の波を甘んじて受け入れる。目の前がちかちかと明滅して自身も達したのだと告げてきた。
 ずるりと抜き出る感覚にぶるりと体が震える。荒い息をしたまま目を瞑り体を弛緩させる。
 エメトセルクの指が汗で張り付いた前髪をそっと払い唇を重ねてくる。行為が終わった後の口づけだけは優しさであふれていた。動くのも億劫な僕はそれを甘んじて受け入れる。
 体を離したエメトセルクは指をスナップさせて2人の汚れを無かったことにする。魔法の扱えない身だけれど、便利だなと毎回感心する。
 体を起こして身なりを整える。脱ぎかけだった服を着直し放り投げていた武器を拾い上げる。
「…まだ狩りに行くのか」
 木箱に腰を預けぼんやりとこちらを見ているエメトセルクが尋ねてくる。
「うん」
 振り返らずに答えを返せば、肩を竦めたような気配がした。バックパックから水を取り出し煽るように喉奥に押し込む。腹の底まで真っ直ぐ降りてきた水分の冷たさに目が覚めるような思いだ。
「…じゃ、またね」
 振り返らずに手を振って倉庫を後にする。背後で次元の闇が開く音がした。

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2019.09.20.初出

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