それは生まれたての何ものにも染まらない色をしていた

 はじめてあいつをみた時の印象は今でも忘れない。
 おおよそ平均よりも小さな体全体に纏う圧倒的なエーテルの渦。さまざまな色形をしたそれに染まらない魂の色。
 よく言えば落ち着いた、悪くいえば停滞したこの街で、あんなに鮮やかな光景を見たことがなかった。

+++

「ハーデスも来てたんだ」
 いつの間に横に並び立っていたのか、ヒュトロダエウスが自分にだけわかる小さな声で語りかけてきた。
 アカデミアの一般開放されていない立入禁止区域の奥で、我々はそれと出会った。
 エーテルの振動で空気が緩く震える。創造魔法の行使がなされる瞬間の動きだ。
 小さな腕を懸命に伸ばしたその先で、美しい鳥が生まれ出でた。瑠璃色に煌めく羽根を震わせくるりと翻った鳥はその伸ばした腕の先のほっそりとした指にそっと舞い降りた。
「……素晴らしい」
 見惚れる我々の後ろから声がする。振り返ればラハブレアが手を叩いていた。なによりも魔法を愛するこの男は目の前の様子を歓迎している。
 目線を戻した先には静かにこちらを見ているその人の姿があった。
「流石だ…美しい」
 ラハブレアは我々の横を通り、今生み出されたばかりの鳥を愛でた。呼び出した当人はそっとラハブレアの節くれだった指にその鳥を明け渡した。
 仮面で見えない表情と違って、纏うエーテルが小さく震えた。
「ハーデスとヒュトロダエウスは初めて会うのだったか」
 呼ばれて、2人揃って神妙に頷く。当代ラハブレアは魔法を愛する寛大な男だが、曲がりなりにもこの世界を統べる十四委員会の長、一学生である我々に逆らう意思はない。
「いずれ十四委員会かそれに準ずる重要職に就くであろう可能性を見て、つい先日別の都市から招聘したのだよ」
 招聘、その言葉にエーテルがさらに震える。
「アカデミアで同じレベルで話ができそうな者がお前達ぐらいしかおらんでな。仲良くしてやってくれ。」
 ラハブレアは美しい鳥籠を創り出しそこへそっと鳥を仕舞い込んだ。
「私はこれをイデア登録の審査に出してこよう」
 足早に、ラハブレアは鳥だけを見つめこの場を去った。強引だ、あの男はいつも強引に事を進める。
「……相変わらず、だねぇ」
 嵐が去った後みたいな顔をしながら…いや、仮面で顔は見えないのだが…ヒュトロダエウスは頭をかいた。
 置いていかれた人物は所在なさげにそこに立ち尽くしている。
「あ、ごめんね。あんな人で」
 ヒュトロダエウスが気さくな様子で話しかける。この男、人当たりだけはいいのでこういう時はありがたい。
「ワタシはヒュトロダエウス、それでこっちが……」
「……ハーデスだ」
 歩み寄る我々を交互に見つめた小さな体が少し強張った。あぁ、と気づいた私は膝を折り目線を合わせた。
「上から見下ろすのは失礼だったな、申し訳ない」
「気遣い〜」
「茶化すな、当たり前のことだろ」
 同じようにしゃがみ込んだヒュトロダエウスはしげしげとその人物を見遣った。
「いやぁ、いろんなエーテルを見て来たけど、これはなかなか珍しい」
「おま……失礼だろ!」
 忘れていた、ヒュトロダエウスもなかなかに魔法バカなのを。ラハブレアほどではないにせよ、魔法に関してはそれなりの執着を持っているんだった。ましてこの稀有なエーテルだ。目を引かないわけはない。
「あ、の……」
 喧々と遣り合う私たちの耳に、小さな声が届く。少し高い声が耳に心地よい。
「あぁ、すまない」
「ごめんね、ハーデスが怖くて」
「なんで私のせいにした!?」
 お前ってやつは…! そう口にしようとした途端、控えめな笑い声が響いた。
「……あ、ご、ごめんなさい」
 謝ったものの、まだ口元を小さな手で隠してくすくすと笑っている。
「おふたりは、仲が良いのですね」
 緊張が解れたのか、優しい微笑みを浮かべて小さな唇から音が紡がれる。
「友だちだからね。君ともそうなれると嬉しいな」
 こともなげにこういうことが言えるヒュトロダエウスが、少し羨ましい。
 驚いた様子でヒュトロダエウスを見たその人はついで私を見た。
「あぁ、よろしく頼む」
 2人揃って差し出した手に、その小さな手が重なった。

+++

「で……結局こうなるのか」
 私の部屋の2人掛けソファにくつろいだヒュトロダエウスを横目で睨む。そんなものどこ吹く風というようにひらひらと手を振りながら来客に茶もないのかとぼやかれる。
「お前のためには絶対に淹れん!」
 部屋の入り口で固まったままの人物に手招きをして1人掛けソファに座らせた。
「あれの横に座ろうとしてはいけないよ、潰されるから」
「ひどいなぁ」
 けらりと笑いながらヒュトロダエウスはソファにごろりと横になった。
 かたや向かいに座った人物は小さな体をさらに小さくしている。対照的だ。
「まぁ、ワタシの部屋に招かなくて正解ではないかな!」
「いい加減掃除の一つでもしたらどうだ」
 お茶を用意しながらそう毒づけばからからと乾いた笑い声が響く。
「あれでも綺麗な方なんだよ」
 何を言ってるんだこいつは。足の踏み場0で寝台に行くためにわざわざ飛行魔法を使うような部屋を綺麗だと?
「ハーデス、流石にその顔はどうかと思うよ?」
「お前がふざけたことを言うからだ」
 淹れた紅茶をカップに2杯注いで、未だに小さくなっているその手に持たせる。
「熱いから気をつけて」
「ワタシのは?」
「自分で淹れろ」
 ポットとカップをヒュトロダエウスの前に置く。ぶつくさと文句を言いながら起き上がりポットを魔法で浮かせてカップに注いでいる。書き物用の椅子を引っ張りそこに腰掛け、カップに口をつける。
 なんだかんだと議論未満のやりとりを繰り返して乾いた喉に温かい紅茶が優しく潤いを与えてくれる。
「そういえば」
 1杯目を勢いよく飲み干したヒュトロダエウスが、2杯目を注ぎながら声を発する。
「肝心なことを聞き忘れていたね。キミの名前は?」
 失念していた。初めて見た綺麗なものに気を取られすぎて肝心の部分が抜けていたのは失礼すぎると言えるだろう。
 問われた人物は手元のカップを見つめたまま少し固まって小さく唇を開いた。
「……ありません。私たちの居た場所では個を示す名前は必要とされなかったので」
 思わず目を見開いた。そんなことがあるのだろうか。
「不便じゃ、ない?」
 ヒュトロダエウスが簡潔に感想を述べる。だがそれは言い得た感想だ。個を示すものがなければそれをどう示すというのか。
「あっ……違うんです。あの、大人には、あります。子供は、ないんです」
「あぁ、なるほどね。子供の真名は大人になるまで隠しておくとかそう言う風習があるのは聞いたことがあるよ」
 ヒュトロダエウスは3杯目の紅茶を入れている。どんだけ飲む気だ。
「だが、そこでは良くてもここはアーモロートだ。名がなければ不便だろう」
 私の声にヒュトロダエウスが頷く。
「まさにその通りだ。子供を呼ぶときはどうしてたんだい?」
「…親の、名前を呼んでました。誰々の〝コレー〟と」
「〝コレー〟と言うのが子供という意味か」
 問いかけにこくりと小さく頷く。
「勝手に名前を付けるのも……何か違うよね」
「ふむ……」
 ヒュトロダエウスと私は顔を見合わせる。仮面の奥の目が結論を出した色を帯びている。
「じゃあ……大人になるまではキミのことを〝コレー〟と呼ばせてもらっても?」
 ヒュトロダエウスの提案を聞いて、小さな体がこちらをも見遣る。その提案にノーを告げる気もない。というか私も同じ思いだ。それを伝えるようにしっかりと頷き返した。
「……おふたりが、それで平気でしたら、大丈夫です」
「やだなぁ、そんなかしこまられるとこっちも困っちゃう」
 ヒュトロダエウスが4杯目のお茶を入れようとしてもうないよ?とこちらを見つめてくる。飲み過ぎだ。
「ラハブレアはあぁ言ってたが、実際この街には子供は極端に少ない。我々も図体こそキミより大きいがまだ学生という身分だ。友となってくれると嬉しい」
 ヒュトロダエウスがポットに魔法でお湯を満たしながらこちらをキョトンと見ている。なんだ、その顔は。
「ハーデスが、論文発表以外で長文喋ってる!」
「おまえは! 私を! なんだと!!」
「仏頂面で鉄面皮で才はあるのに伝える力が足りなさすぎて他の子はおろか先生まで困らせたハーデスが、長文を!!」
 酷い言われようである。そんなふうに言われてたのか私は。
「コレーが困っているだろ!!」
「ハーデスはもうちょっとさ、言葉を尽くしたほうがいいと思うよ本当に。口下手なのはいいけど、時にそれが悪手となりうるんだから」
「ま・だ・その話を、するか!!」
 子供以下の言い争いだ。しかもこちらの分が悪すぎる。口下手なのは生来だ、ほっといてくれ。
「ふふ……」
 可愛らしい笑い声が空気を揺らした。エーテルがふんわりと暖かく揺れる。
 カップをテーブルに置いて、両手で口元を隠してくすくすと、コレーは小さく笑っていた。
「あ、ご、ごめんなさい……ふふ」
 ふわりふわりと楽しげなコレーに合わせてエーテルが揺れる。綺麗だな、と思った。
「……そうやって笑ってくれる方が、ワタシたちとしても嬉しいかな」
 ヒュトロダエウスが優しく微笑みながらまだお茶になっていないお湯をポットに注いでいる。水分ならなんでもいいのかこいつは。
「長い付き合いになるだろうしね」
 4杯目も一気に飲み干したヒュトロダエウスは今一度ソファの上に伸びた。
「まぁ、ワタシはしばらく2人と遊ぶのはお預けなんだけどね」
 ぐったりとした声色でもうやだーなどとのたまっている。
「そうか、そろそろ論文提出か」
「ふふふ、今回は本当にちょっと、つらい」
 この言葉も何回目か。なんだかんだ言いながら毎回期限きっかりに素晴らしい論文を披露してくるのだから、この友人も侮れない。
「この仏頂面にコレーを任せっきりになっちゃうだなんて!」
「言うに事欠いてそこか」
「ワタシだってコレーと一緒に遊びたい!」
「いいか、あいつはああ言ってるが大抵振り回されることになる。心してかからないと本当に疲れるぞ」
「ひどいな!?」
 ヒュトロダエウスがひどいやひどいやと声を上げるがそれを無視してコレーの前に置かれたカップを見る。まだ紅茶は並々と注がれたままだった。
「冷めてしまったか。淹れなおそう」
 立ち上がりカップを取ろうとして、慌てて手を伸ばしてきたコレーの手とぶつかる。
「あ、ご、ごめんなさ」
「いや、こちらこそすまない」
 触れた手をさすりながら小さくなるコレーと私を見て、ヒュトロダエウスが吹けない口笛のような音を立てる。
「…あの、お茶、大丈夫です。熱くて…」
「あぁ、そういうことか。すまないな」
 カップを手に取ってちびりちびりと舐めるように飲むさまはイデアで見た子猫のようだった。
「……ワタシ、ちょっと心配になってきちゃった」
「は?」
 急にぽつりと呟いたヒュトロダエウスに思わず素の声を返してしまう。いや、素ではない声で話しかけ続けるような間柄でもないが。
「こーんなに純真なコレーを、こーんなに鉄面皮なハーデスと一緒に居させることに」
「おいまて」
 まだその話を引っ張るか。
「いいかい、コレー。この無愛想くんに何かされたらすぐヒュトロダエウスお兄さんに知らせるんだよ?」
「誰がお兄さん、だ」
 呆れて力が抜ける。どっかりと椅子に座り直した私は首を振った。
「おにい、さま?」
 呟いたその言葉に私はがばりと顔をあげる。言われたヒュトロダエウスは一度キョトンとしたあと満面の……こんな笑顔になったこいつを見るのはいつぶりかというほどの満面の笑みで微笑んだ。
「うん……うん、いいね! そうだよ、今日からワタシはキミの友となり兄となりキミの力となろう!」
 パッと立ち上がったヒュトロダエウスはどこか芝居がかった口調でそう告げて大きく手を広げた。
「遠慮はいらないよ、ワタシは何よりも愉しさを求める男。お兄さま、その響きは私にとてつもない愉しさを連れてくると今確信したからね!」
「愉しさ以外も求めてくれ」
 あの部屋の惨状を思い出し、私はげっそりとそう呟いた。
「おやおや? 嫉妬かな? 醜いぞぉ?」
「なにがだ」
「ハーデスもお兄さまと呼ばれたいのかな?かな?」
「そんなこと……」
 叫びかけて口をつぐむ。そんなことないと言ってしまうのは簡単だが、見知らぬ土地に1人連れてこられたコレーを、たとえ小さなことでも拒否すれば悲しませるのではないかと思ってしまったからだ。
「……お呼びした方が」
「いや、いや……まってくれ。この男に引きずられるな。君が呼びたいように呼んでくれて構わないから」
 必死に弁解する様がなんだかおかしくて、でもそれを笑う気持ちにもなれなくて。
「……しばらくは、ハーデス様と」
「……あぁ、それで構わない」
 なんだかくすぐったい気持ちのまま私は頷いた。

+++

 ふわりとエーテルが揺れる。目を凝らさなくてもわかる。綺麗な、優しいエーテルの色。
「うん、やっぱり綺麗なエーテルだね」
「おーまーえーはー!」
「純粋な興味だよ!」
 かちりとカップをソーサーに置く音が響く。コレーが少し俯いている。
「……おかしい、のでしょうか」
 問われた言葉に我々は必死に頭を横に振る。
「おかしくない! なんにもおかしくないよ!! とても綺麗なんだ!!」
「だからそうじゃなくて、いやそうなんだけど、そこじゃなくてな?」
 わたわたと必死に取り繕おうとする私たちに対して、コレーの表情は沈んでいく。どうしよう、どうしたらいい? ヒュトロダエウスとふたり顔を見合わせる。
「……普通ではない、とラハブレア様はおっしゃいました」
 告げられた言葉に2人揃って動きが止まる。地雷を踏み抜いた、そう気づいても後の祭りである。
「私にはなにも、見えません。なにも、わかりません……私はただ羊を追って暮らしているだけでしたから」
 アーモロートからすればとても原始的で、だからこそ遠い世界のように感じるコレーの姿を思い浮かべようとするが、私たちにはその知識が足りない。
「エーテル、も、見えないのです」
「そんな、ばかな」
 思わず口をついて出た言葉を飲み込みきれなかった。アーモロートに住うものなら……私たちほどではないにしろ、皆一様にエーテルの、魔力の揺らめきは見えるはずだからだ。それが、一切、見えない?
「ラハブレア様にも、そう言われました」
 カップをそっと机の上に置いてコレーは小さく両手を握りしめた。
「私には……難しくて、わからないのですが、普通ではないとだけは何度も、言われました」
 アーモロートにおいて、普通でないことは軋轢を生みやすい。個性を尊重しながらも画一的であろうとするこの街に、この子は辛いのでは……私とヒュトロダエウスは同時にそう思ってしまった。
「魔法も、うまく使えません」
「えっ? だってさっき、とても綺麗な鳥を」
 ヒュトロダエウスはぽかんと口を開けて先ほど見た鳥に思いを馳せている。
「自分で作ることは、少しだけ。イデア、を見ながらは……難しいです」
 なるほど、いわゆる芸術家肌の魔術師に近いのかもしれない。
「例えば……おにい、さまがやっていたように、ポットを持ち上げてお茶を注ぐ……のは、できません」
 これには息を飲むしかない。
 創造魔法は術者の思考力と思考を具現化するための精密な魔力操作が問われる分、かなり高難易度の魔法に位置づけられている。イデアの閲覧にも、その難易度によって閲覧権限が設けられているほどだ。その創造魔法よりも簡単とされる、物理に干渉する魔法が出来ないというのは……少なくとも聞いたことがない。
「うーん……見えない、のはわからないけど創造魔法が出来て他ができないのは……魔力の調整がうまく出来ないということかなぁ」
 ヒュトロダエウスは分析の思考に脳を切り替えている。放っておくと質問攻めを始める危険性がある。そんな、地雷原でタップダンスするような真似はしたくない。
「……ヒュトロダエウス、その話はここまでだ」
「いやでもさ?」
「ヒュウ」
 幼い頃の呼び名で呼んで意識を逸らせる。こいつが思考の渦に入り込んだときによく取る手法だ。
 こちらを見たヒュトロダエウスにくいっと顎でコレーを指し示す。可哀想なぐらい小さく縮こまったその姿を見て、ヒュトロダエウスの血の気が引いていくのが手に取るようにわかる。
「……私、は」
「あぁ、ごめんね、ごめんね? そんな風に、悲しませたくて言ったんじゃないんだ」
「いえ……私こそ、すみません」
 普通ではないからこそ、普通を押し込まれ、この街へ連れてこられた、小さな人。私たちが見るコレーの印象はここがスタートになる。
「……帰りたい、のか?」
「ちょっとハーデス!」
「ここが辛いというなら、戻してあげるべきだろう……あの爺さん、魔法しか見てなかった」
 最後は吐き捨てるように告げる私の言葉に、ヒュトロダエウスも押し黙る。我々アカデミアの学生にとっては、いつもの魔法に人生を捧げた一教授の姿ではあるが、無理やり連れてこられたコレーからしてみれば……?
「やってることが無茶苦茶じゃないか……」
 はぁ、と大きくため息をつく。押し黙った室内にため息が溶けていく。
「……大丈夫、です」
 小さく震える声がため息をかき消すように部屋に溶けていく。ふるふるとコレーの周りで震えるエーテルが、コレーを慰めるように撫でている。
「……戻る場所も、ありません」
 顔を伏せたまま告げられた言葉に、今一度絶句する。戻る場所がないという言葉に最悪の展開が脳内を駆け巡る。
 押し黙った我々に、あっと小さく声が響く。
「違い、ますっ……えぇと、ラハブレア様が、2回いらしたんです。2回目の、前に、大きな崖崩れがあって……」
 顔を上げたコレーの声が震えている。泣きそうだ。
「……家族と、少なくない人は、エーテルの海へ、還りました」
 数日前のニュースで見た小さな記事を思い出す。原因不明の崖崩れにより村がまるまるひとつ飲み込まれた、と。流し読みしていたその場所に居た人が目の前で震えている。
「なので、大丈夫、です。私は、ここに」
 弾かれるように……示し合わせてはいないけれど、私もヒュトロダエウスも動いていた。
 強く握りしめていたその小さな手を、同時に自らの手で包み込んだ。握りしめて血流が滞っていたのかひんやりとしたその手が我々の熱を奪っていく。
「……悲しかったね」
 ヒュトロダエウスが呟いた言葉にエーテルが反応している。
 コレーほどではないにしろ、我々もエーテル関連においては〝普通ではない〟評価を受けている。その我々の気持ちにも、エーテルが反応を始めている。
「……大丈夫、とは言えないかもしれない。でも、私たちがいる」
「うん、ワタシたちはコレーの味方だよ」
 青と、白と、色を変えて、エーテルが舞う。
「だから……泣いても、いいぞ」
 ぽたりと仮面のその向こうから涙が落ちてくる。
 ヒュトロダエウスがそっとコレーのフードを下ろす。私はそっとコレーの仮面を外す。
 さらりと銀色の細い髪がフードからキラキラとこぼれる。涙で潤んだ瞳も薄灰色。色素の薄いその体が涙の熱で少しだけ赤みを増す。
 コレーだけ素顔を見せるのはフェアではないとヒュトロダエウスとふたり、顔を見合わせフードと仮面を取る。
 アーモロートにおいて、ごく親しい者のそば以外で仮面とフードを外すことは〝マナー違反〟とされている。それでも私たちは今、コレーを慰めたいと思ったのだ。そのためには、こんなものは邪魔でしかない。
 エーテルが美しい花のように開いて3人を包み込む。隠すように……癒すようにふわりふわりと頬を、髪を撫でていく。
 出会ったばかりなのにどうして、と思わないわけではなかった。とりわけ私はあまり他人に関心を寄せないと外から言われる程度には、人付き合いをしたがらない人間だ。普段の自分なら、あのままどっかりと椅子に座ったままだったはずだ。
 震えるエーテルに感化されたのかもしれない。浮ついた部分をそっと撫でられて引っ張られただけなのかもしれない。
 それでも、あの染まらない魂を悲しみに沈めたくないと、思ったのだ。
 ぱたりぱたりと涙が落ちる音が部屋に響く。
 状況からしてほぼ着の身着のまま、避難するようにアーモロートに逃れてきたコレーに、安穏とした日々を享受していた私たちからかけられる言葉は、ない。
 ただ、その悲しみを共有して、共に分かち合うことしかできない。お前の友であろうと言った私たちの愚かな様を許しておくれ。
 泣いているその頬を伝う涙をそっと指で拭う。小さな体は私たちが力を入れたら壊れてしまいそうで、そっとなぞることしかできない。ヒュトロダエウスも同じ気持ちのようだ。
 エーテルの濃度がとても高い。言葉として発しなくても、お互いの想いが伝わるほどのエーテルの揺らぎが今ここにある。エーテルの交感をしたときのような、エーテルと意識が混ざり合う感触。
 エーテルを何処までも視る者、エーテルを自在に操る者、エーテルという存在に愛された者。三者三様ながらも似ている3人は、流れる涙が止まるまで静かにエーテルの揺らぎに揺れながら心を共有していた。

+++

「……本当に、ごめんなさい」
 消え入りそうなほど小さな声で、唇にハンカチを当てながらコレーは謝罪の言葉を述べた。
「気にするな」
「そうだよ」
 私とヒュトロダエウスは微笑んでその言葉を受け取る。
 先程よりは薄くなっているが、まだエーテルは揺らいでいる。言葉に出さなくてもまだ伝わる気はしていたが、私たちは言葉にすることを選んだ。
「いっぱい泣いたらさ、それ以上に笑おう」
 ヒュトロダエウスがまだ頬に残っていた雫を指先で吸い上げる。
「ワタシたちはとても近い。いい関係になれると思う。悲しいこともあるだろうし辛いこともあるだろう。そんな時はいっぱい泣いて、それ以上に笑えるような関係になろう」
 私はそっとコレーの髪の毛の先に触れた。思ってた以上に細い髪は絡むことなく、するすると心地よい手触りで指先を撫でていく。
「私たちは、友であり兄弟であり、仲間だ」
 コレーの瞳が揺れている。
「見捨てない」
 うまく言葉にできない。どうしても言葉少なになってしまう私を許してほしい。
 エーテル共有の影響か、ヒュトロダエウスには伝わったのが気配でわかる。いや、これはもう気配ではなく……ものすごく動いているが。
「……私でも、お役に、たてますか?」
「そんなこと、考えるな」
「そうだよ、見返りを求めないのが友であり兄弟であり仲間なんだから」
 足りない言葉をヒュトロダエウスがフォローしてくれる。ありがたい。……せわしなく横で蠢いてる動きさえなくなってれば、よりよかったのだが。
「……ありがとう、ございます……っ」
 ぽろりとまた透明な涙がこぼれる。悲しみの色を含まない、無色透明な透き通る涙が。

 まるで君の染まらない魂を映し出すかのような、涙。

――――――――――
2019.09.29.初出

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